2000円札

 J-wave で、2000円札の話題が出ていましたが、どうも一般的な認識というのは少しずれているようです。使いにくい、というお話がよく言われますが、使いにくい事はなく私は重宝しています。1000円は半端だし、5000円は多く、1100円のものを買ったら1000円札がいっぱい返ってくるのも邪魔です。
 実際のところ、2000円札の場合使いやすさ・使いにくさではなく、マーケティングの失敗によるところが多いと思います。本来、この手のお札改定や新札発行の場合、券売機や ATM などの迅速な対応は不可欠です。ところが、当然これにはかなりコストがかかるので、できれば企業側は対応したくありません。それでも迅速な対応があるのは、ひとえに政府側の強い対応依頼(あえて悪い言い方を探せば「圧力」)があるからです。政府としては、新札の受け入れや切り替えがうまくいくように、あちこちに働きかけるわけですね。
 もちろんそれには、それなりのお金と政治力が必要です。いくら政治家とはいえ、あまりしょっちゅう「お願い」ばかりしていると嫌がられますし、そのうち軽んじられてしまいます。なので、本当に必要なときだけ「お願い」するわけです。が、2000円札の場合…表向きはお願いはしてるわけでしょうが、力の入れ方というか、声のかけ方がどうも違ったようです。
 たとえば某メーカーから 「やっぱりコストがかかりますよね」 なんていわれたときに、2000円札の場合には 「まぁ、時機を見て対応してくれればいいよ」 的な、すこしやわらかい対応だったと思われます。普通は、その政治家もがんばっていますから 「なるべく早く進めてほしい」 となるわけですが、そういったものがなかった2000円札の場合、暗に 「今回はすぐにやれとはいわない」 ということを示してるわけです。まぁ、その辺は空気で動く国民ですから、それを察して、のんびりと対応を行っていったのでしょう。お金がかかる以上、誰もやりたくないわけですしね。
 結果的に、その差の大きさは予想以上で、自販機で使えないということは、JR や地下鉄、バス、ドリンク販売機など、いろいろな面で使えなかったりするわけで、それは不便です。その結果、普通より強く 「使えない」 という印象が強く残り、最終的には、実際に不便を感じた事がなくても 「あれって使えないよね」 的ムードたっぷりになったわけです。不便を感じた事がない人まで、大抵想像で 「使えないよね」 発言をする面は何度か見ました。
 私の母上も同じような感じだったので 「具体的にどんなところが?」 と質問してみたところ、やっぱり 「ほら、自動販売機とかで使えないし」 という回答があって、実際にはさすがに昨今では大抵の自販機では使えるようになっています。2000円札が使えない自販機は、1000円札以外が全部使えな自販機なので、2000円札だけの罪ではありません。他にも 「レジで嫌がられるし〜」 とかいうのもありましたが、嫌がられる場面を見た事がありません。そもそも、店員さんがどういう風に嫌がるんでしょう。不機嫌な顔をするのかしら。それとも、はっきり迷惑だというのかしらw
 その辺も突っ込んで聞いてみたところ、結局 「そんな気がする」 というだけで、本当に嫌がられたわけでもないようです。最終的に 「2000円札は使えないものだ、不便なものだ」 というムードだけで頭がまわっていたことがよくわかりました。たくさん聞きまわったわけじゃありませんので断言はできませんが、世間一般もそんな感じではないでしょうか。ここからわかる事は、いかに、人間はイメージで先行して物を決定した上で考えているか、ということです。
 似たような事例としては、いじめがあるのではないでしょうか。いじめられている子に本当に嫌悪感なり敵対心なりを持っている子は、ほんの一握り。でも、その一握りの子が、先に 「あの子は嫌われる対象なムード」 を作ってしまえば、クラス全体が、なんだかそのいじめられている子に本当に何か問題があり、嫌な存在であるかのように感じてしまったりしがちです。実際に、いじめてる子達がそういうムードを作らなければ、実際には何の問題もなかったのに、です。
 この例の場合、そのいじめられている子とは、仲良しとまではいかなくても、何もトラブルを起こさず普通のクラスメートとして、前の学年で同級生だったりした子が、いじめムードになった新しいクラスでは、いじめに参加とまでは行かなくても、毛嫌いして行動するようになっていたりするのです。結果的に、クラス全体から嫌われてるこの子も、本当に嫌悪感を持っていた子は一部だけであり、実際はそんなムードさえなければみんなと友達になれたかもしれないのです。先行するイメージは、とても怖いのです。
 たとえ、ふと、この子と仲良くなれそうかな?なんて思う一瞬があったとしても、クラスのムードで、無意識に頭からそんな事は消えてしまいます。仲良くなれそうか、そうでないかではなくて 「この子はいじめるべき相手」 というフラグが立っているのです。だから、仲良くなる選択肢はないのです。いじめたい気持ちも、いじめる理由もまったくなくても、いじめの輪に加わってしまう、そんな世界。
 「空気」 で動く国民は、ほんと怖いですね。