きょうのぐるぐる

とざんでんしゃ〜

 スティンガーみたいなのだとは思いますが、どこで貰ってきたんでしょうね。謎です。発射体はあったのかな? 発射筒だけ?

 ジンパをご自宅で…。まぁ、私は自宅では汚れるので焼肉もジンパもやりません。ジンギスカン料理はキッチンで作ることがありますが、リビングではしませんね〜。コレはやっぱりお外でするのがよいでしょう。

 私はそもそもお釣りをいちいち確認する習慣はないので、別々に渡されようと一緒に渡されようと変りません。というか、別々に渡されると、先に渡されたお札をしまっているうちに小銭を用意されてしまってあわててお札をしまいながら小銭を受け取るという感じになり、確認する余裕はますますないわけで…。

 日本語が正しいか正しくないかなんてどうでもいいわけで、私は純粋に余計な装飾やへりくだりすぎた言葉があるのがイマイチ感漂います。なので 「次は大手町です」 というのがシンプルでいいわけで、変に丁寧にしたりするのは苦手。個人的には、駆け込み乗車をしてきた人が居たら、迷惑だからやめるように注意するアナウンスは必ず発車直後に流して欲しいものです。

 コレは私が昔から常々感じている 「定番の」 話題でもあるわけです。日記にも書いた事があるかも? アニメの曲と言うのは、本来ちゃんとそのアニメ専用に作られたものであるべきで、昔はそうでした。キャラの名前とかシチュエーションとか道具の名前とかいろいろ出てきてそのアニメを象徴していました。それが、いつか市販の曲が流用されたり、市販の曲としても売れるようなものが増えていき、最近では特殊なものを除いてほとんどが 「アニメの内容とは無関係なタダの歌」 が基本になってる気がします。
 もっとも、それでも一般的な市販曲よりは(個人的には)アニメの曲には好みの曲が多く、いい曲が多いと思うのも事実です。ただ、これはオリジナルというよりは J-POP のどんな曲をアニメに使うかというだけの 「選曲」 の問題でしかありません。定義的には 「J-POP ∋ アニメソング」 という感じの包含関係だと思うのですが。

 発電所が一つ停止してるくらいで電力供給に問題が生じるようなら single point of failure としてシステム的に問題があるわけです。まぁ、発電所を作るのは反対運動とかで大変な労力がいるのはわかりますが、必要なものですからなんとかして欲しいものです。これで、2 個の発電所が Out になったら東京は死滅というわけで。

 個人的には、ものを食べるとかお化粧をするとか言う具体的行為ではなくて、汚れる可能性がある、人に迷惑をかける可能性があるものがよくないんじゃないかと思うわけです。喫煙と同じで、喫煙だからいいけど線香花火はダメ、みたいな。どちらも単なる遊びであり必要性はなく、他人に煙で迷惑をかけるし危ないのは同じ。でも、行為の 「名称」 につられてしまうと、判断を誤りがちなわけです。
 ちなみに 「ハンバーガーの汚れを椅子につけていた人」 の話ですが、これは日本独特の側面があります。コレを注意しないのは日本の場合 「あなたには関係ないでしょ!」 みたいな態度をとることが多いからです。「あなた JR の人?」「キミ駅員?」 みたいな事を言われて違うといえば 「関係ないんだから口出すな」 的な態度を取られます。つまり、小さい頃、先生や親に見つからなければそれで OK みたいな育ち方をしてきた人たちが多いのでしょう。なので、悪い事をしている所を友達や同級生などに見つかって注意されると 「オマエには関係ないだろ!」 みたいな、そんな感じが基本であり、自分が悪い事をしている事を考慮する思考パターンがないわけです。
 これは注意している方に何らかの「注意しなくていい理由」を見つけ出して、自分を注意した事そのものを非難する反撃パターンの一種です。似たような例として 「じゃぁ、あなたは制限速度をいつも守って歩道は右を歩いてるとでもいうわけ?」 とか 「キミだってxxしてたじゃん!」 みたいな、相手を逆に非難することで自分への非難をごまかそうとするものがあります。典型的な非理論的思考パターンで、私は苦手です。
 これが US なんかだと、見ず知らずのおじさんとか通行人に注意されます。もちろん、日本と同じく 「アンタにはかんけいないでしょ!」 みたいに逆切れする人が (おもに若年層なんかで育ちの悪い人の間では) いたりしますが、それでも注意する人が多いです。日本では 「先生に見つからなければそれでOK」 みたいな思考なのに対して、US では 「悪い事は警察や関係者関係なくみんなで注意しよう」 という思想があるわけです。道に迷うと、見ず知らずの他人でもだれでもとても親切に道を教えてくれますが、同じように、変な事をすると誰でも関係ない人が注意してきます。
 その時、警察官や駅員じゃなかったからといって 「あなたには関係ないでしょ」 なんて言っても 「私がここにいる時点で既に関係してる」 という意識も強く、かつ、駅員じゃないから黙っていればいいという思想は、大人がするものではないわけでとても幼稚だと思われてしまいます。恥ずかしいですw
 日本だと、注意してこういう人が逆切れしたりして問題になると、むしろ注意した人を 「ケンカしてウザイ」「ほっとけばいいのに」 みたいに冷たい目で見るという、非常に恥ずかしい習慣があります。例えば駅で喫煙している人を注意して、言い合いになったら、注意した人を応援する人がどれくらいいるでしょう? きっと、多くの人が 「ケンカなんかしててうるさいなぁ。ほっとけばいいのに」 とつめたい目で見て通ることでしょう。
 黙っているのが大人? 口を出さないのが大人? 沈黙は金? 寛容さという言葉を勘違いしてる? 日本人は、日本という自分の国において、自分たちが生活している圏内で行われる問題行為を、無関係と感じて素通りするのがよいという感覚を持った文化を早くなくしたほうがいいと思います。