今日のぐるぐる

 詳細情報は個人的には必要だと思います。「殺人が起きました」だけだと、何の参考にもならないですしね。どういう背景の人がどういう犯罪を起こす傾向にある世の中なのか、それを知りたいと思うのは社会で過ごすものの当然の欲求だと思います。例えば、街中で目つきのおかしい女の子がいても、あれ?と思うだけかも知れませんが、事件のトレンドを知っていて 「女子高生の間で流行しているhogehogeという薬物を乱用して目がとろーんとしてる状態になっている少女が無差別に人を刺す事件が発生してる」 なんていうのがわかってれば、警戒できるでしょう。まぁ、そんな警告の意味がなかったとしても、ニュース詳細が 「意味がない」 のであれば、詳細情報に限らず殺人事件が起きた事そのものの報道も、自分個人に何か意味があるのか、自分の役に立つのか、知ってどうするのかというと「?」でしょう。興味本位というと聞こえは悪いかも知れませんが、その興味をノイズを含めてかき集め、自分の行動に役立てようとする 「知りたい欲求」 は無駄だとしても知的生命体の一種の本能だと思います。

 こんな事やってるから、不正をしても最終的には儲かるわけで、不正が後を絶たないわけです。赤福の問題起こした人たちも 「ほら、期限切れだろうと赤福は求められてるんだ。僕たちのやった事は間違ってない」 と反省も薄らぐ事でしょう。白い恋人も再開後、売れてるらしいですね。不二家も。国民自ら自分の首を絞めてます。軽率すぎ。私は絶対買いません。

 化学兵器なんかだと、成分分析により出典というか出所・系譜がわかるんですよね。農薬ですが、化学兵器と同じような物です。その化学兵器がどこで作られたか、どこの系統のものかがわかります。というのも、原液のままだと、その粘性や体積の小ささなんかから広く広範囲に均等に散布・攪拌するのには不適切だったりします。取り扱う時も、不安定だったり形状的に扱いにくかったりするので、これを不純物を混ぜて扱いやすい形にするのが一般的です。
 民間で扱われてるタイレノールなんかの一般薬を見ていただければわかると思いますが、同じ頭痛薬でも同じような大きさの錠剤になってます。この錠剤全部が有効成分ではなく、かなりの割合が「何の効能もないただの粉末」 で、それが「形」をつくってます。その中に、有効成分が、〜mg という感じで均一に混ざっています。人間が飲みやすい大きさは大抵一定の範囲に収まるので、お薬も大抵、違うお薬でも一定の大きさをしてるわけです。大きさが 500円玉くらいあったり、逆に、米粒より小さいのはあまりありませんよね? 大きすぎれば飲みにくいですし、小さすぎると、手に持った時に水分を吸収してすぐ変色したり溶解してしまったり、飲んだ時にどこかに成分が付着して有効に働かなかったりします。
 なので、扱いやすい大きさまで「無駄な物」をまぜて大きくするわけです(全部が無駄とは限らず、胃を保護する成分なんかの補助成分だったりする事もあります)。化学兵器でも同じく、散布する容器の構造や方式に会うように、独自に研究された方式の結果に基づいて、扱いやすい形状(様態)にします。
 このとき、何をどれくらい混ぜるか、それは方針によって変わるわけです。A と B どっちを混ぜても変わらないので入手しやすい B を選んだけど、別の国では A が入手しやすいので A を混ぜる、みたいな感じです。その A ですら、産地によって微妙な構成の違いがあったりします。「これはロシアの方でとれる A」 「これは亜細亜地域で多く見られる A」 とか。
 また、混ぜる段階でも、その工場の温度、湿度、使われる薬剤の鮮度による酸化の進行度合いなどなど「同じ成分」 といっても 「クセ」 が出るわけです。なので、極端な話、同じメーカーでも、工場によって微妙なクセの違いが発生する可能性があり、生産工場まで特定できたりします。民間薬でも、後発薬品(ジェネリック薬品)というのがあり 「同じ成分・同じ効能で安い」 なんて言われていますが、切れた特許を取ってる成分そのものは同じでも、製薬会社のクオリティや、有効成分そのものの生成方法、均一に混ぜる技術、使用する「無駄な成分」の中身などが違い、完全に同じではなく、特許を持っていた大手メーカーの物と比べて劣らないとは必ずしも言い切れないのが確かです。
 そんなわけで、化学兵器がとある場所で使用された場合、残留成分なんかを分析する事により、その化学兵器が、どこの国で作られた物か、原料となった物がどこから入ってきた物かなどが判別できます。同じように、農薬についても(たぶん)同じ事が言えるわけで、日本でも売られている農薬だったとしても、成分分析をする事により、その農薬がどこの物かは判別する事が可能でしょう。もちろん、それが本当に「その国」の人間が「その国」で使用したかどうかは言い切れませんけどね。犯罪がある程度組織的であれば、偽装のためにあえて持ち込んだ別の国の人かも知れませんし。輸出入による錯誤はあると思いますが。

 ここ10数年のゲームは難しく複雑な物が多いですからね。昔のゲームは基本操作はマニュアル見ればすぐわかるし、30分もすれば操作になじむ事が出来ますが、今のゲームはマニュアルを見てもイマイチ実感がつかめず、とりあえずゲームを始めてみて、やりながら何度もマニュアルを見直して「〜するにはどこを押すんだっけ?」「〜ってなにを表してるんだっけ」 となかなか落ち着いてゲームが出来ません。その上、操作タイミングもシビア。また、わざとキャラクターやアイテムの情報がマニュアルに全部が記載されていなかったりして不便です。この辺は公認攻略本を売らせるための策略なんでしょうがw
 また、達成までのゴールがあまりにも長い上に選択肢も多く、達成感がありません。特に、マルチエンディングの影響で、同じゲームを遊んでいても友達と情報共有というか話のネタにすることが出来ません。みんな違う状態にあるので 「〜まで進んだよ!」 みたいな話がしにくいです。その結果、一緒に買って始めたのにやるのも楽しむのも一人。昨今はネットに情報があふれてるので 「あぁ、そっちのパスに行ったんだ」 みたいにわかるので完全にネタ不明になる事はないでしょうが。
 あとは、昔のゲームは比較的、初めてやる人の事をしっかり考慮した場合が多かった気がします。たとえば 「1面」 とかの面数があるゲームの場合、最初の1割の面はバカみたいに簡単で 「ここで死ぬのはあり得ない」 と言えるほど誰でもクリアできる物が用意されていました。それが数面続き、それにより操作方法やこのゲームのコツなんかを身につける事が出来る物が多かった気がします。何度も続けてるとこの面がじゃまに感じる事もありますが、それでもやりなれた人にはウォーミングアップ、なれていない人には練習になります。
 特に、この慣れていない段階でも初期の面をクリアするある程度の時間遊べる事は重要で、それにより、頭が飽きずにゲームをするモードになれるわけです。1面からいきなり難しいと、1分もしないうちにやられてしまい、3分もしないうちにゲームオーバー。これでは飽きて放り出すのも当然です。最初の数面が簡単で、10分くらい遊ぶ事が出来れば、またがんばってみようと思う事も出来ます。もっとも、これが長すぎると一度ゲームオーバーになった時に 「また最初からやり直しなの?!」 と思ってやる気がかえってそがれる事もありますがw
 いわゆる最近のゲームは、シナリオありき、制作側のデザインありきの物が多く、練習面など雰囲気が壊れるだけであり、それを不自然にならないように 「完成されたストーリー」 に上手に組み込む手間も労力もかける気がないと言えます。なんというか、芸術家気取りになったというか、ユーザーの事よりも自分たちの描きたい世界を描いてるだけのゲームが多い気がします。その結果、ユーザーは操作や世界観、システムになじむのに結構苦労させられるのではないでしょうか。
 また、格闘ゲームに代表されるように 「暗記しないとどうにもならない」 というのも多くなりました。その昔、グラディウスの装備コマンド "上上下した左右左右…" なんていうのがあり、がんばって覚えたりしましたが、それが 「通常の操作」 において、しかも何度もいろいろな物を覚えないといけないわけで、マニュアルを見てる間に殺されます。しかも、素早い操作が必要で、久しぶりに最近の格闘ゲームをやってげんなりした覚えがあります。
 そんな感じでなんか、ひたすら一人で作業をしてる感じ。やり込んで上達した人だけが先に進めて、そうじゃない人は途中で 「ハマリ」 となってゲームを放棄する形になりがちと思います。なんていうか、複雑すぎて "ゲーマーさん" 以外は熱中する事が出来ずに飽きるんですよね。本当は面白いのかも知れないけど、その面白さを味わう前に操作や法則の段階で飽きて放り出してしまう。対して昔の game は操作もわかりやすく変に複雑でもなく何ヶ月も遊べ、思い出として残ってるんですよね。PSP で一番遊んだゲームはといわれれば 「ナムコミュージアム」 だったりするし…。
 もっとも、親切なゲームになると、ちゃんと 「チュートリアル」 があり、細かい操作方法を教えてくれ、練習もさせてくれるので、本番に出る時にはある程度操作ができるようになってる物もあります。これは、むしろ昔にはなかったよい物だと思います。