今日のぐるぐる

 まぁ、これはもっとも日本らしい現象の一つというか、みんな経験してる事なんじゃないでしょうか。一部の人たちは、幼稚園時代なんかにも 「なぜ?どうして?」 を考えるように教え力が育つような教育をしたりする事もあると思います。教育番組なんかは大抵そういうノリだと思います。そして、そうする事は、私は正しい事だと思っています。
 じゃ、それはどこで崩れちゃうんでしょうか…といえば、それは当然、受験戦争と学校でのテスト対策です。授業や教わった事の中で、自然と 「何でこういう風になるのかしら」 とか 「どうしてそうなの?」 と思う心を、例え幼稚園時代にその心を育ててもらっていたとしても、それをさらに育てるどころか逆につみ取ってしまう教育システムが日本の義務教育システムの中に存在してると思います。もちろん、義務教育以降の高校大学でも似たような物なんじゃないかと思います。
 例え授業中や教科書を見ている時、先生の話す内容の中に 「そもそもなんでそうなるの?」 なんて思ったとしても、それを口にした所で 「いいから、これはこういう物だと覚えておきなさい」 なんて言われるのが関の山。むしろ 「いちいちそんな事考えず暗記するの。あなたは朝起きる時どちらの足からどういう理由で歩き出すか、朝食のメニューが何のためかいちいち考えるの?」 なんて怒られちゃいます。
 もちろん、中にはきちんと丁寧に教えてくれる先生もいます。ただ、私の経験では、最初に丁寧に教えてくれた先生も、毎回そういう事になってたり、質問した内容からさらに質問が行われて時間を消費されると、だんだん嫌がるようになります。残念ながら、この質問に延々とつきあってくれる先生というのは私は見つけられませんでした。
 もっとも、それが悪いというわけではなく、先生もお仕事で一定の労力を見合った対価をもらう事でしているだけですから、度を超した物はやりたくないのは至極当り前の事でしょう。この辺を勘違いして、先生にあれこれ要求するのは、先生を慈善事業で学校に来ている何か特別な人だとでも思ってるのでしょうか。普通のお役所の窓口の人やサラリーマンと同じです。なので、当り前の事ですね。
 なので、実際にそこまで丁寧に教えてくれないのは仕方有りませんし、そうするべきだとは思いません。ただ 「そういうもんなんだから何も考えずにそう覚えなさい」 という言い方をするのが、ちょっとまずいと思うわけです。結局それにより 「なぜ?なんで?」 なんて言う質問をする人は 「空気が読めない人」 みたいな扱いにされちゃって、まるで子供のような目で見られてしまい、非常に居心地が悪くなるわけです。なので、結局疑問に思う事を頭から打ち消して 「暗記」 していく、そういう学校社会になってるわけですね。もちろん、そこには、自分自身もいちいち疑問に思っていたら、受験勉強の成績が上がらない事もわかっているので、周りの影響がなかったとしても自然と、切り捨てざるを得ない部分、それが、疑問に思うという頭の回し方なのです。
 そういう流れでみんな、最終的には、なぜだろうとどうしてだろうと、どうでもいいから、公式を暗記し、解法パターンを暗記し、それを自然と体が覚えるまで何度も反復します。そして、学校のテストや受験勉強で好成績を収め、希望の進路に進む事ができる。それを強要するのが、今の日本の教育システムです。それを否定すると 「ゆとり」 と言われてバカにされてしまうわけですが、何度も書いているとおり、ゆとりで教育がちゃんと機能しなかった日本という国は、それはとても恥ずかしい事であり、原始的な強制と詰め込みによる行動しかとれない事を証明してしまったような物なんです。
 この辺は、フレックス勤務が日本でうまくなじまなかったのと同じで、監理され、命令され、脅されて追い込まれて動かされないと何も出来ない民族だと、世界に知らしめてしまったわけですね。つくづく嘆かわしい事です。冗談で言う分にはいいですが、本気で 「ゆとり教育」=「甘え・甘やかし」だと思ってる 「苦労してこそなんぼ」 的な精神論万歳な人がいるとしたら、それは相当恥ずかしい事ですので、特に国外では口にしない方がいいです。ホント。
 で、これが困った事に、高校生を卒業して、受験が終わったあとになってもなくなりません。大学生になっても、この発想は抜けず、大学の授業とテストを同じ姿勢で受けてる人が多い気がします。私は日本の大学にいなかったのでこの辺は断言できませんが、周りの人の話を聞いてると、どうやらそのような雰囲気たっぷりなのです。
 でもまぁ、無理もありません。なにしろ、17年間の人生をそうやって生きてきたのですから、突然切り替えろという方が無理という物です。しかも、大学に入ってもあいかわらず高校時代や受験と同じノリのテストが続きますから、それまで蓄積したテスト勉強のノウハウを駆使して 「理解していなくてもテストをパスしていい成績を取る」 という流れを続けるのはむしろ自然の事でしょう。
 その結果、研究室に入っても似たような事が多いようで、大学勤めの知人が嘆いていたのを覚えています。結局、解答があり、誰かが手法をしっかり決めてそれを徹底的に頭にたたき込む事でクリアしてきた人生。それ以外の方法の訓練を一切積んでいないどころか 「なぜ?なに?は考えちゃいけない」 と、興味関心をまるで邪念のように押し込んできた歴史があるわけです。
 本来なら興味関心は勉強の基本。まぁ、私ほど行きすぎるとアレですが、基本は興味を持って覚えるからこそ覚えやすく身につくわけです。けど、当然受験勉強や学校のtest対策ではそんな事をしていたら余裕がないわけですから、興味関心は有ろうと無かろうと詰め込む「義務」があり、興味関心なんていうのはむしろ邪魔な物に他ならないわけですね。
 これが、学生時代はもちろん、大学生になっても当然のように続いてしまう所までは、1漫歩くらい譲ってよしとしたとします。でも、これ、社会人になったら無くなるのかというと、これまた 20何年間の人生を詰め込みで過ごしてきた人々。それを急に変えるのはもちろん無理です。
 それどころか、新人教育なんかではやっぱり 「なぜ? どうして?」 は排除されるようです。私が散々日記で書いてる、作って守らせる人と、それを守って自己満足してる人たちのためだけにあると言っても過言ではない「ビジネスマナー」とかいう物では、もちろん 「なんで?どうして?」とか「それはおかしいんじゃない?」は通用せず 「新人は黙って言う事を聞きなさい」 「新人のくせに何生意気な事言ってるの」 と言われるのがオチ。
 エレベータの乗り方や車の乗車順序?とかミーティングでの席の位置を細かく覚えて、ご満悦。不思議な事に、新人君も、それを覚えて実行できると、ご満悦。それ、勘違い。立派な事が出来たから達成感があるならまだしも、単に暗記ゲームをクリアしただけで、何も立派な事を成し遂げたわけでもないのです…。
 ともかくそんなわけで、ビジネスマナーで有無を言わさず、また詰め込み。また、お仕事でも 「こうやりなさい」「こうやるものです」「これはダメです」 と言われた物に 「はい」 としか言えないのが日本の新人教育。「え?なんでです?」 とか 「そうなる理由が知りたい」 なんて言おう物なら、これまた「ナマイキな子」とか言われるのがオチです。ましてや「それって間違ってますよね」 なんて言おう物なら、問題児として人事部を呼んでのミーティングになるかも知れませんねw
 その割には、考える頭を持ちなさいとか、自分で判断できるようになりなさい、なんて、上の方の人は言ったりしてるみたいで、かなり遊離感があるというか矛盾が多いようです。結局のところは行き着く先は詰め込み教育。なので、日本人はホント定型業務ばっかりな感じがします。クリエイティブなお仕事ができる人は、比較的昔から、先述の中にあるような 「問題児」 の行動が色々あったりする感じがしますw
 何でそうなるかを考えられないのは、ひとえに「教育」と「文化」からくるものです。学生さんや子供達が悪いのではなく、大人が自然に子供から「自然な疑問」を持つ本能を取り去って育ててきたわけですから、仕方有りません。「なんで?」 という子、あなたの周りで煙たがられませんか? あなたはちゃんと答えてあげれますか? 実際のところ、大人も、先述のように「なぜかは理由は知らない」 で育ってきてるので、子供が「なんで?」と訊いても、めんどくさい以前に答えられないっていうのも結構あるかも知れませんね。それが恥ずかしいから、わからないと素直に言えずに、怒ったり、いいから覚えなさい、的な反応をしたりする場合もそれなりにある気がします。
飽きたのでこの辺で。