今日のぐるぐる

 最近あまりぐるぐるするネタがありません。

 …「マトモ」な子を取りたかった、で良いのでは…w それはともかく、日本の学校は学力以外に変な精神論みたいなのを共用させるお節介が多いのが困りものですね。しつけなんかは家庭のお仕事で学校のお仕事じゃないのに。で、この件は、自組織の営業行為である学校の運営に阻害となる可能性があるのであれば、基本である学力試験以外にお客さんを選ぶのも学校の権利だと思いますが…法的な問題は知りませんが。試験は出来るけど頭は良くなく、素行の悪い子が多いっていうのは、私の世代くらいからの問題かな、と思います。

 なんか…ネットカフェ利用どころではなく、今度は配送業者利用するのにも本人確認なんて言い出さなければいいですが。日本は何かと本人確認ばかり行われていて、とても生活しにくいです。監視カメラなんて何の問題もありませんし、むしろ日本中に張り巡らされた方が良いと思うくらいですが、逆に何かにつけて免許証を見せなさいとか、住民票を出さないと受け付けませんとか、手続きしません、みたいな本人確認しないとダメという文化は問題だと思います。
 この国はどうして犯罪抑止を一般人に平気で迷惑をかける方法でやるのが好きなんでしょうね。コピーワンスも、一般の人の違法ではない範囲すら自由を奪い不便と迷惑をかけても何とも思わずに、犯罪(コピー)を防止するという、逃亡犯を足止めするために市街地で逃亡車両にATM打ち込んで民間人から平気で死傷者を出すようなセンス(とそれに文句を言わない国民)に世界は驚いていますよ?

 これって、PDA でもたまに起こってるんですよね。目が悪くなります。訴えられるかも。

 本来、人の話を聞かないというのはこういう場合を指すのです。でも、なぜか昨今この定型句を誤解して批難の定型句に使ってる人がいます。例えば、議論中に自分の意見を聞いて貰えない(=聞き入れて貰えない)のを 「人の話を聞かない」 なんて言う学生さんとか。人の話を聞かない(ヒアリングしてもらえない)のは良くないことですが、この場合は、聞いた上で却下されているので、聞かないのとは違い、定型句を使って相手を非難したところで恥をかくのは自分です。

 これは素敵です。車でお出かけするのが好きな私には朗報。是非実現してほしい物です。でもこんなおいしい話、実現するのかしら…。

 ジブリについては同感。マダムはあれでちゃんとキャラになってますしね。話題を取るためによくわからないアイドルとか俳優/女優さんに CV あてさせるのは嫌いです。

 ↑ と同じ方の日記より。このお話は何度も目にしたお話ですね。で、会話のルールって何なんでしょう。確かに、第一段階では 「そうね、ニュースでもよく見るし、怖いわね」 とでも反応しておく方が無難に過ぎるでしょう…が、会話って何のためにするんでしょう。外交官じゃあるまいし、お互い無難に済ませるために会話するわけじゃありません。ましてや、仕方なくつきあっている近所の人や会社の同僚ならともかく、奥様とかお友達であればなおのことです。
 確かにこの回答は無難に会話が過ぎますが、そんな回答されて、嬉しいですか? 私は嬉しくありません。だって、この増田さんの頭の中には 「統計的には犯罪率は低下してるんだけどね」 というのが一瞬流れてるわけです。つまり、私の情報は間違ってるというのがわかっているのに、指摘して貰えない。これはとても悲しいことです。むしろ、私ならこっちの方を怒ります。
 でも、当然頭の中をのぞけるわけでも心を読めるわけでもないので、そんな正解があることも、そう思われたことも気がつくことはできないので、実際に怒ることはありません。何も知らないまま、会話が一見「円滑に」進むだけです。一見、平和に終わったこの会話。でも、真実はとても残念なことになっているのです。
 ところが、よくよく考えてみると、教えてくれていても円満に終わるのが普通の気がしますが、どうでしょう。私なら、ここで教えてくれていれば 「そうなんだ〜。でもテレビでは昔より目にするようになった気がしてしまうから不思議よね」 的に話が普通につながると思います。そもそもここで、自分の 「凶悪な少年犯罪が増えてる」 という認識が間違いだと指摘されたことを怒る時点で、大人としてはどうかと思います。しかも、対立するような意見や推測ではなく、統計という事実です。もちろん、バカにした口調だったり批難めいていれば怒るのもわからないでもないですが。
 例えば 「ミッキーかわいいよね」 という会話に対して 「あんな黒鼠どこがかわいいのよ。バカみたい」 なんてお返事をすれば、怒られたり悲しい気持ちにさせたりするのはわかります。なぜならこれは、カワイイかどうかという個人の意見、感覚の問題であるという点が一つ。真実が決まっている犯罪統計とは違います。また、その人の感想という価値観ですからそれを否定することが、それこそ会話のルールに違反しています。
 カワイイと思わない自分の感覚もまた正当な物ですが、相手がカワイイと思うのもまた正当。相手がカワイイと思ったことを否定するのではなく、自分がかわいいと思わないことを表明すればいいだけのお話です。これが、会話のルール。もちろん 「バカみたい」 という批難/中傷を使うことも言語道断。
 「貴方はそれをかわいいと思うんだ。でも私はそれをかわいくないと思う」 という双方の意見交換にとどめ、相手の価値観に踏み込まないことが大人の会話でしょう。ここで 「そうだよね、かわいいよね」 と相手に合わせるのが大人だと思ってるようだと、それは 「ケンカが強いのが大人だ」 と思ってる小学生の発想に近い物がある気がします。
 もちろん、タイミングというのは世の中何でもありますから、例えばすごく悲しんで落ち込んでる人の所に行って 「あれは貴方の落ち度だから当然よ。改善案を聞かせなさい」 なんていうのはちょっと可哀相です。その時は 「よく頑張ったけど残念ね。しばらく休んでリフレッシュするといいよ」 と穏やかにしてあげるのはよいことでしょう。ただしこれは、感情表現を上手にコントロールしているだけのお話であり、平静に戻った後日に、ちゃんと改善案の聴取を行いますし、問題点は指摘します。
 時期をずらすだけで最終的には同様のことを指摘されます。その、感情が乱れている落ち込んでいるときは、指摘をして改善案を効果的に引き出すのには適切な時期ではないから、後ほど落ち着いてからにずらしただけのお話ですね。一方で、先述の会話で、後日 「統計では…」 なんてお話をしたところで白けるだけですし、むしろあとから指摘することで 「何でわざわざ私の間違いを今…」 なんて不思議に、人によっては不快に思うかもしれません。この場合は、適切な時期というのは間違い発言をしたその時なので、私の感覚では 「最近少年犯罪が」 と発言をしたときに言ってくれるのが一番です。
 会話をするときに、確かに相手がこう返してくるだろうという予測をしながら会話をすることもあります。それを予測して次の話題展開をイメージしていることもあります。その通り返ってくると、会話はスムースに話が進みます。けど、それって重要なことなんでしょうか。思わぬ返事が返ってきたり、知らないことを知れたりするから 「人間」 と会話する意味があるんじゃないでしょうか。
 予測通りの返事が返ってくればいいなら、人間を相手にせず独り言でも言って、一人二役でもすればよいのです。そもそも、自分の期待通りの返事をしてくれないと気にくわないなんて、いつの時代の特権階級でしょうw
 私なら、そういった形で無難な返事をして話を上手に流されたとしたら、例えその場は楽しく会話が出来たように見えても、むしろそれはとても残念に思います。私が怒ることを上手に表現できるタイプの人なら、それを知ったら怒ります。なによりも、そんな、手のひらで玉を転がすように、私を上手に操るような会話をするような人と結婚したいとは思いません。
 どうでもいい間柄や、表面だけうまくやっていればいい間柄なら良いんです。でも、仲の良いお友達や愛する人、信頼している関係の深い人にそんな事をしたりされたりするのは、私ならゴメン被りたいところです。
 ところでここで、コンメントにあるように 「なぜそう思うのか」 を訊いてから、真実を告げるやり方をしてしまうと逆効果の気がします。というのも、日本の小中学校では往々にして 「何でそんな事したの?」 というフレーズを叱りの定型句に使った怒り方をよくするからです。すなわち、とてもイヤミたらしく聞こえるのです。「何でそう思うの?」〜「統計ではね…」 なんて言われたら、いくら真実の指摘でもバカにされた感じで私はいい気がしません。
 なんにしても、重要なのはお互い信頼関係を築けること。自分と意見が違う部分があるのは、どんなに親しい気の合う間柄でも違う個体ですから当たり前。ごまかしたりその場しのぎのウソで無難に終わらせたりしないで、上手な表現方法で自分の考えを素直に話し、それをお互い受け入れる(≠従う)事ができる関係が、理想的だと思うし、そうあるべきだと思います。昨今、夫婦や恋人、親友などの最大級に親しいはずの間柄でも、こういったことができない 「タテマエ」 のつきあいをする人が増えてるような気がします。