今日のぐるぐる

 それって、単に感性が低下しただけなんじゃないの? 漫画やアニメが子供っぽいから飽きる、というのは確かにあるかもしれません。誰もが漫画やアニメがずっと面白いと思うとは思いませんし、人それぞれなのは当然です(もちろん、漫画やアニメが好きなままでも当然です)。それは、小さい頃は甘いものが好きだったけど、大人になったら辛い刺激の強いものが好きになる人がいるのと同じで、どちらが良い/悪いではありませんし、当然「成長」でもなんでもありません。
# ここでよく勘違いして、背伸びをしたがる中学生くらいの子は、甘い物がおいしくなく感じた時に 「私って辛い物が好きな "大人" になれるのかも!」 なんて無理したり、甘い物をおいしく感じる事が悪い事だと思って辛い物を好きになるようにしたりするのをよく見かけますよねw
 ここで問題なのは、甘いのがおいしいと思わなくなったのなら 「辛いの」 なりなんなり、他においしい物があったわけ? というのがあります。甘いのよりも辛い方がおいしいと思うようになった、というのであれば、感性が低下したのではなく、好みが変わっただけです。もちろん、場合によってはそれが成長だったりする場合もあるでしょう(漫画やアニメ、甘さ/辛さには当てはまりませんが)。

 けど…ダメなパターンは 「それじゃ、他に何か楽しい物を見つけたの?」 と問われた時に答えられない場合です。漫画がつまらなく感じてきた…では…何なら楽しいと感じたのでしょう? これは、成長でも何でもなく、物を味わい、感じ取る感性が低下して、物に興味が持てない、醒めてしまっているだけのお話です。大人になったわけでもなければ成長したわけでもありません。もちろん、卒業でも何でもなく、むしろ「劣化」です。
 考えてみれば、大人になって「好きな物/趣味」 がはっきり言える人がどれくらい言えるでしょう。身近な例で、自分のお父さんを思い浮かべてみましょう。もちろん、釣りとか無線とか車とか狩猟とか、趣味を持っているお父さんもいる事でしょう。でも、少なくとも日本においては圧倒的に 「お父さんの趣味? ないんじゃない?」 という家庭が多いのではないでしょうか。
 結局の所、お父さんは仕事に追われ、疲れとストレスが溜まり、感性が鈍ってしまいます。子供が生まれ育ち始める頃にはすっかり感性が無くなってしまい、興味を持てる物がなくなります。そうなると、あとは、強制的にやらざるを得ない 「仕事」 だけが生活の中に残り、気がついたら、仕事が趣味みたいな生活になっていたりするわけです。
 なので、趣味も何もなく、会社に行っているだけで、週末は家で寝てるだけのつまらないと思われているお父さんも、実は若いうちは、切手を集める趣味があったり、ギターを演奏していたり、車を改良して運転技術を競っていたり、鉄道が好きで写真を撮っていたかもしれません。今ではすっかりそんな影は消えていますが、感性が残っている頃は、そういう物にちゃんと、ワクワクドキドキできていたのかもしれません。
 漫画も書けなくなり、曲作りもすっかりできなくなってしまった、感性が低下している真っ盛りにいる私がいうのもなんですが…。他に面白い物、興味を持てる物を持てた場合を除いて、今まで熱中していた物が面白くなく感じたり、興味を持てなくなったり、どうでもいいと思うようになった時は、それは、感性が低下している時です。一時的な疲労や体調、季節(?)などにより、一時的な症状で、しばらくすればまた感性が復活する場合もありますが、そのまま沈没してしまう事も少なくありません。
 そういう時は、自分で気をしっかり持って感性を磨くようにしないとダメです。だからといって、無理に漫画を読んだり音楽を聴いたり創作活動に精を出したところで、感性が戻るわけでもありません。感性が低下している時は、あれほど涙が出そうなほど感動した音楽や映画作品を見ても、何とも思わず、眠くなるだけだったりするのです。感性は理論ではありませんかあら、どう心構えをしたって、どう頑張ろうとしても、感動できなくなった物を感動したり、感性を高める事はできません。
 重要なのは、定期的に自分を見つめる事。感動しなくなった、面白いと思わなくなった時には、ちゃんと頭に「イエローフラッグ」を立てる事です。感性が低下してる証拠だよ! と、警告音を鳴らして、自覚しないといけません。
 大人になった証拠とか、成長したんだとか、そういう気持ちを持ってしまうのは結局の所、世間でヲタク呼ばわりされる風潮を気にしていた自分が居たりとか、自分の興味関心範囲に自信を持てていなかった証拠です。そのため、感性が低下してマンガを面白いと思わなくなった瞬間を 「成長したんだ! 卒業するチャンス!」 なんて誤解してしまうのです。そんな人に待っている結末は、趣味がすっかり失われ、働いて寝るだけの生活をする 「魅力のない、つまらないお父さん」です。
 私もお仕事はしていますし、それなりに色々ありますが、プライベートがあってこそのお仕事だと思うので、自分の感性は最も大切にしますし、仕事だけに追われる人生はまずあり得ません。疲れて心が痛んで、感性が低下している時は、心を休めてストレスのかからない状態において、いやしてあげる必要があると思います。そうしないと、どんどん心がひからびて、何に対しても感動できなくなり、最終的には、周囲と話を合わせるための芸能活動や野球なんかのありきたりのスポーツ番組を見るだけの人になってしまうかもしれません。
 「昔やった」 とか 「昔は熱中したけどね」 とか、そういう過去形で話す「冷めた」 事をかっこがいいと思って喋る「大人」は多いですが、私からみると、今は感性が失われて事務的に生きているだけの寂しい人なんだなぁ、と思います。