今日のぐるぐる

 実際に裏工作があったかどうかは別として、検索エンジンという考えてみればかなり公共性の高い物が、全く規制のない状態で民間企業が運営してるのは結構リスクだと思います。気にくわないのは検索に引っかからないようにする、お金さえもらえば優先的に表示するなど、世間に流れる情報を自由にコントロールできるわけで、そういった事が出来ないようにそろそろ法整備をしないといけないと思うわけですが…政府もチョサッケン大好きなどうでもいい人たちなんて相手にしてないで、こういう大切な部分に気を回してほしい物です。

 禁止だと言われてるのに、自分だけはいいだろうと平気で勝手を押し通すような行為が押し通る日本人。お客様だからと厳しい対応をとらない社会風習が一番いけないでしょう。この手のお馬鹿さんは、せめて莫大な損害賠償を請求されている事を祈るばかりです。

 あとを絶たない悪質業者。単なる営業停止とかで、結局不二家みたいに「のど元過ぎれば元に戻る」 感じであり、不正をした方がプラスマイナス勘定しても儲かるという図式がある以上はなくならないでしょう。完全に廃業させる必要があると思います。まぁ、海外でも、安全装備を実装するコストより、事故があった時に賠償金を支払った方が安くすむからと、安全装備を導入しないで事故の度に賠償金を払って過ごしている会社とか、ちらほらありますけどね。

 …質問事項そのものがどうというよりは、コメント欄についている回答が悲しいです。下に書いた 「本当はわかってるくせに」 と同じで、すぐ深読みをするというか裏を読んで、正解を得たような気分になるのは嫌いです。今回も 「15時過ぎて送金が翌日になってトラブルになったから逆ギレしてるんじゃない?」 みたいなコメントに一同納得してる有様。回答とされる方々を見てもだれも正しい事をいっていないし、ずれた回答が多いので質問者さんが納得しないのは普通の事な訳ですが、それを再質問してコメントをつけると「逆ギレ」扱い…。こういう展開が、議論を論争にするんですよね。裏や深読み邪推はやめましょう。心が汚れている証拠です。邪推で本筋を読み取ったような幻想を抱くのは中学生までで卒業しましょう。

 日本じゃなくて、中国のお話。日本の場合復活の儀式と同じで何らかの裁判逃れかと思ったりしたけど、中国だとなかなかそうは思えないわけです。まぁ、普通の中国の方はいっぱいいるんでしょうが、先行者中華キャノンとか国家が発表したり、インターネットを監視してるようなお国ですから…。

 あまりニコニコ動画は見てませんでしたが、たまに知人から MSN とかで送られてくるリンクを見てたりします。個人的には、文字が流れるのはたいていの場合あまりいい感じがしませんが。これ、有料会員があるんですよね。そして、そこそこおもしろい。最初から、有料会員はかなり限定されてるなら「所詮お金か」 とセカンドライフみたいに無視してたんだけど、無料である程度使って、例えば数ヶ月使って、生活に一部になって、課金してもいいかな?と課金する人が結構いるみたい。私もそのうち課金してもいいかな、と思わないでもないわけで、この手の 「課金しないと何も出来ない」 みたいな強迫性や「仕方なしに」課金するようなシステムじゃないところが評価できる点かと思います。

 基本的には苦手だった2ちゃんねる。今でも苦手です。が、完全に否定する事はありません。変な挑発や扇動がありながらも、ある程度の本音も見えます。それをある程度見分けて中身を見つけるのもそれなりの情報選別能力ではないでしょうか。まぁ、疲れるのであまりしたくありませんが、例えばニフィティであれば「具体的な根拠もなしに批判的な意見を書くのは規則違反です」 なんて書かれて褒める記事以外かけなかったりする風潮があったりしますが、2ちゃんねるではそれがありません。都合の悪い意見には耳をふさぐ文化がないわけですね。また、下手に飾らないで行動を起こせるあたり、形式張って粛々と献花に行くのではなく、それをきっかけに個人が独立して動き出す、そのカジュアルさがよいところでしょう。で、ゲーム感覚で、っていうのにつなげるゲーム脳理論の記事の方が、2ちゃんねるのユーザーより「軽い」と思いますが?

 考慮に入れるべきは当然ですが、同時に、新機能や新しい UI でユーザーを牽引するのもソフトウェア制作の上での一定の義務だったりするわけです。ユーザが 「今ほしい物」 だけを提供していると、よそに抜かれます。最初は多少使いにくいと思わせても、結果的には慣れてくると使いやすく便利であるステージへ「ランクアップ」させてあげる必要があるわけです。まぁ、その慣れるまでにかなり労力と時間を要するわけで、それで私は Vista に苦労してたりしますが、それもそのうち、XP より便利で使いやすいと思うようになるのでしょう。

 まぁ、コピー10は「百歩譲った範囲の妥協策」であって、そもそもコピー制限をかける事自体イマイチ。買いたい人が買えばいいだけの DVD なんかとは違う放送で、根本的にすべてのコンテンツをコピー禁止みたいにするあたり日本はおめでたすぎ。理由を「違法コピーする人がいるから悪い」と転嫁して一般ユーザーに迷惑をかけ…。そういったチョサッケン業界言いなりそのものを何とかしないとダメナクニアルヨ。

 あら、全然気にしてませんでした(^^; 元々携帯の通話も禁止されるまでは全く気にならない人でしたし、こういうのは鈍感ですね。普通に MSN でバシバシチャットしてました。しかも、打鍵速度がかなりある上に本人はノイズキャンセリングイヤフォン装備で全く気がつきません(@@ ちなみに、マニュアル通りエンターキーは小指で押しますが、音はしっかり派手です…。キーボードカバーみたいな打鍵感覚を損なう物は NG (という割には X68k にはカバーしてたなぁ〜(遠い目))なので少し謙虚に打ちますかね?

 まぁ、たまにこういう事はあるものです。アニメがおもしろいと思わない人に 「何でアニメなんておもしろいの?」 みたいに言われても最終的に、アニメのおもしろさを知りたい訳じゃなくて 「アニメなんてくだらないよ?」 といいたいだけの話です。自分と違う価値観を批判したかっただけ。こういう人が多いから、真剣に 「アニメの何がおもしろいのかわからないので、面白さを知りたい」 から同様の質問をしても、けんかを売ってると思われることが多い嫌な世の中になっています(@@
 ちょっと違いますが、この言い方は、大人でも 「なんで昨日のうちに宿題済ませておかなかったの!」 という言い方で多くの人が使ってるわけですが…。わかってるくせにあえて疑問口調で聞くのが、私が小さい頃に感じた、大人の最初の嫌な面、大人が信用できなくなる言動の一つです。
 さて、問題の発言にそのまま応えてしまうと 「絵画を写真で見るのと直接見に行くのとの違い」 はそれほど難しい物ではなく、多くの場合 「絵は立体造形だから」 です。平面に見える絵も、油絵なんかはわかりやすいですし、そうでない絵も大抵、手描きである以上凹凸がそれなりにあったりする物です。人間の目は、左右の差異を使って立体物を認識し処理し、それを持って心地よい感じを得たりしますので、コレは当然、写真からは得られません。自分が立つ位置、動いた感じによって、絵の見え方が、立体が故に変わってきます。動かなくても、立体認識は(意識的にそれが立体だとわからなくても)絵の雰囲気の一つとして頭の中では認識され、味わっている要素の一部となっているわけです。
 もう一つは再現性の問題。写真はデジカメだろうと印刷だろうと、所詮は 「特徴的な波長の一部を捉えて、それを再現しただけの物」 にすぎず、絵画に使用されたインクの全部の色を再現することは出来ません。いわゆる色の深みや味わいなどは、光の加減や見る角度によって変化する物もあり、これらは平面であり、一葉のインクで再現した写真や印刷では再現することが出来ないわけです。
 たとえ、インクが将来光学的に 100% 同一色を再現したとしても、それはカメラが 「その角度から、その周辺光量で固定して見た時の絵画」 でしかなく、つまりそれは 「絵画のほんの一部分」 でしかありません。当然コレでは、絵画を味わいたいと思う人は満足しないでしょう。もちろん、カメラやフィルム、CCD などの色特性もあるでしょうから、印刷、撮影の二段階にて色の再現性に悩まされることになり、現代のテクノロジでは無理に等しいと言えます。
 また、人が見ている色の感じ方は、みんな違うと言われています。同じ色を発する物体を見ても、その色加減の認識は人それぞれ違うと言われています。なので、実際にそれを見てどう思うかは 「カメラが赤と判断した赤」 と 「自分が見て赤と判断する赤の度合い」 が違ったりして、それは最終的にフィーリングの違いを生むでしょう。
 光の違いは物の色を全く変えてしまいますし、それはやっぱり現物を見に行かないとわからないものです。赤の上に薄く重ねられた緑色が、緑を通してみる赤という不思議な色合いを見せてくれたりもします。光の違いで言えば、わかりやすいのはブラックライトですね。普通にシャッターを切っただけで普通の光では単なる白にしか見えない物も、ブラックライトの下では際だった白になり、それ以外の色は暗く見えます。
 これは、そういう「絵の具」で塗られた絵を写真撮影して、ブラックライトの下に持って行っても、そのような色は再現されません。ブラックライトに限らず、そこまで極端ではなくとも多かれ少なかれ普通のインクでも同じ事が起こるわけで、絵そのものを楽しむのであれば現物を見に行くしかありません。色を再現するとは、本来 「どのような状況に持って行っても、原本と同じ色合いを見せてくれる」 必要があるわけですから、その実現は難しいでしょう。撮影した条件と同じ条件の時のみ一致、というのであれば、先述の通り、絵の表情の一部しか見る事が出来ないわけで、全く足りないと思うのではないでしょうか。
 もちろん、これはいわゆる「お金を払ってまで絵を見に行く」 という絵のオタクの皆さんの話。一般的には、写真でも充分絵の重さや存在感は味わえますし、デザインや色遣いを(オタクレベル外の範囲で)味わうことは出来ます。大抵はそれで充分ですし、それは決して悪い事じゃありません。誰もがなんにたいしても、100% の理解と実感を得られる必要があるわけじゃありません。たとえば、そうであるなら、絵が好きな人が感じ取れるのと同じ事を、絵好きの人は、車にたいしても味わえるのでしょうか? 車の構造や接地感、加速の性能、コーナリングの細かいフィーリングを味わって差がわかるでしょうか? 必ずしもそうではありませんし、それは悪いことでも恥ずかしい事でもありません。
 普通の人にとって、車はある程度走ればそれでいい物。同じように、絵も、そこそこの人にはそこそこ味わって楽しめればいいですし、その違いがわからない事や、わかろうとしない事は罪でも何でもありません。むしろ、本当にその何かが好きな人は、それ以外の一般の人を 「〜がわからないなんて」 なんて見下したりしない物です。
 なぜなら、深い味わいを持った事のある人は、逆に、それ以外の自分の守備範囲外の分野では、自分が深い味わいを持てていない事をわかっており、人それぞれ、首をつっこんでいる分野が違う事を理解し、人それぞれ違う相手をきちんと認める事が出来るからです。この辺が、オタク世界では 「常識知らずの迷惑なヲタク」 と 「単に趣味が濃いだけのオタク」 途の差と言えるのではないでしょうか。
 そしてそれを受け入れて、自分がわからない価値観=おかしい、と考えない事です。コレは同時に、自分と違う価値観(気に入っている物を「ダメな物」と言われた場合など)に接しても、相手を見下したり、けんかになったりせず、違う価値観をそれぞれ認め合ったり、冷静に良さをアピールしてみる程度にしておく事が出来る必要もあるわけです。