らき☆すた、ふたたび

 ふと思いつきで、らきすたネタですが、とある話題で 「らきすたあずまんが」 についてが出ていたのでちょっと書いてみます。それによると 「あずまんが+コナタ=らきすた」 という感じで話が進んでいたりしました。で、なにが重要かというと、コナタの存在だそうです。
 指摘によれば、彼女の存在は、擬似的に存在する視聴者のアバター。といっても、私みたいなのではなくて、いわゆるヲタ系男子、しかも、あまり女子と縁がなかった方々、途ありました。いわゆる女子の集まりの中に自然にとけ込んだ存在として、自分に似た「ヲタク」であるコナタを存在させる事で、より身近に、女子校に迷い込んだかのような親近感と一体感を覚える、それが重要だ、というお話でした。
 ヲタで男子の自分が自然な形で女子の集団に入り込んだらこんな形、それがコナタ? う〜ん、この分析ってどうなんでしょ。残念ながら個人的には No です。この女子集団の描写、女子の立場から見て別に不自然はありません。コナタみたいな女子は普通にいます。「まるで男子のような女子」 でもなんでもありません。女子に濃いヲタは現実味がない、という価値観があるのでしょうか。なんというか、ふつ〜にいます。ふつ〜に。
 別に男子視聴者に親近感を持ってもらうためにオタク描写を増やしたというのは、あながち間違いでもないのかもしれませんが、少なくとも描写そのものが現実味がないという事はまるでありません。むしろよく描けている方だと思います。他のアニメよりも、女子の中のオタ要素がある人の会話のリズムと空気感というのをよく描けている気がします。つまり、コナタは男子のアバターでも何でもない、普通の女子です。
 私の高校は男女別学だったからなおさらかもしれませんが、女子は男子が思うほど「だらしなくない」事はないし、普通にヲタもいます。同人作品とか商業アニメを見ても、どういう訳か女子と男子の境界線が濃く作られていて 「オタの男子とそれを理解できない女子」 という描写か、または逆に、男子の描いた作品で、女子に仲間入りしてほしいという願望が見え見えの、明らかに不自然なオタク女子を描いた作品もあります(ex.女子の凄腕メカニックとか…w)。
 そういう意味では、らきすたはオタク女子のいる風景というのを空気感をいいバランスで描けている方だと思いますし、男子向けアバター要素はかなり低いと思います(作者の意図は別としてw)。ただ、ある意味浮いているのは 「自分もオタクっぽい事をやってるくせに、オタクであるコナタを批判する」 的な行動が出演キャラ同士に見られる事です。
 これ、現実でも昨今よくありますよね。明らかにヲタ属性の人なのに、ヲタク世界の他人を「これだからヲタクは」的にけなしたり、悪く書いている人がいたりするのが、あまりよくない方向のヲタクの皆さんで現実でたまに見る光景だと思います。批判する事で、自分を一般世界の人から認めてほしいのか、何か問題を起こし他ヲタクがいる時に、それと同一視されないための予防策なのかわかりませんが、私は嫌いです。うじうじ自分を隠してごまかしてないで、シャキッっとしなさい、シャキッと!という感じでしょうか。
 こういってはなんですが、世間の非ヲタな人たちから 「オタクでしょ?きもちわるい」 とか 「xxちゃんってオラクらしいよ…」 と変わった視線で見られるのが怖くて、あえて自分からオタをバカにすることで、オタとみられないような努力をしてる方が、見るからに明らかにオタという感じの人よりよっぽど陰湿で 「気持ち悪い」 です。むしろ、そんなうじうじした態度をとる人こそが、何かの機会に世間一般から変な眼で見られる対象となる悪い意味での「ヲタ」の皆さんの代表的行動なんじゃないでしょうか。
 お話がそれましたが、コナタに関しては、普通にいる学校のオタク女子です。現実にはあまりいないとか、マンガだからあえて存在するキャラだと思ったら間違い、ましてや、オタク男子受けするためのアバターだと思ったらなお間違いと思います。まぁ、そういう考えを持っちゃう人は、女子校(女子部)にありえない幻想を抱いてるんだろうなぁ、と思いますが…それが、オタクのオタクらしいところというか「ヘンな想像ストップ!まわり見えてなさ過ぎ!!」 な一面なのではないでしょうか。
 それはそうと、らきすたそのものの評価は相変わらず周囲では高くありません。私個人の感覚としては、なんかこう、淡々と話をしてるだけ、というのがつまらないわけです。ネタがわからない事もたまにありますが、ジャンルさえ一致してる世界ならネタがわからなくてもそれなりに楽しめる事が多いので、それが要因ではないわけです。なんというか、座り込んで淡々と何かについて質疑応答や雑談をしてる、ある種のシンプルさが苦手です。
 これは、私が FM ラジオは聞くけど AM ラジオを聞かないのと似ていて、淡々と二人で話をしてるだけなのを横から聞いていてもつまらない、というわけです。起承転結の山もあまりなく、淡々と話が進むだけ。まぁ、らきすたは AM ラジオに比べてちゃんと(地味ですが) BGM もあるし、比較級で語れば山も多少あるので最期までみれました。AM ラジオは、BGM もない中、ハガキを読み上げてひたすら一人で盛り上がるお兄さん…他人の独り言を聞いてる感じであれは耐えられません。苦手です。
 元のマンガを一切見てないのでわかりませんが、コボちゃんとかと同じで、4コマをぶつ切りにつないだりしたので、そんな感じが強調されるのかもしれません。やっぱり話が1話完結というか、1話の中で1つにしてくれないと、なにかこう、飽きちゃう感じがします(@@ 私がサザエさんが苦手な理由と同じですね。
 内容的には、特にマンガになりそうな "いかにも変わった会話" みたいなのがなく、本当にどこかで誰かが話してたのを無作為に拾ってきてつなげただけ、みたいな。特別変な会話をしてるわけでもなく、すごいネタになってるわけでもなく、ごくごく普通の会話。なんかこう、物珍しさがないわけで、たとえるなら興味があまりない推理小説の内容をプロローグからエピローグまで一方的に聞かされるような感じ?
 ただ、コレは同時に 「感性の低下」 の側面も見え隠れしています。例えば、らきすたが「つまらない」と明言してやまない日記なんかを見てると 「女の子がチョココロネをどうやって食べるべきかという、どうでもいい話題を淡々と話し合ってたりする…」 なんて書かれていたりします。まぁ、それを第三者の立場から傍観してるだけで楽しいかどうかは別として、じゃぁ、あなたはチョココロネをどっちから食べる? 内容的にちょっと考える事が出来ないのはイマイチです。
 つまり 「どっちから食べるかなんてどうでもいい。適当に食べるよ」 みたいな感想になったのであれば、感性の低下の証拠です。だんだん日々の生活に無関心になり、死ぬわけでもないしどうでもいい、みたいな対応が生活の中の大半を占めて、思考が仕事の事ばかりにになってたりするのもよくあるパターン。この 「どうでもよさそうな」 事でも頭を動かしてみる事が出来ない人は、実際のところ感性が低下してるのはもちろん、頭の回転もあまり速くないと思われます。仕事と最低限に日常生活で手一杯。チョココロネを観察してる余裕なんてないわけです。
 パターン化した事をこなすことは得意でも、そうでない事に興味関心を持って考える事が出来ないといけません。「頭がいい」というよりは「頭の回転が速い人」。PC 風に言えば 「クロックの速い人」。決して計算が速いとか、即答できるという意味ではなく、頭をどう使うか、何を普段考えてるかという 「問題に取り組んでいる時"以外"の通常回転数」 がいかに速いかが、本当の頭のよさの気がします。そして、それらを、周囲を観察したり、独自に思考をめぐらせたりすることができる人。採用面接なんかをする時は、暗記や練習してきたような事ではなく、そういった面を観察しています。「がんばって勉強して覚えたこと」は正直どうでもよいのです。
 みなさんは 「仕事にも生活にも必須ではない」 どうでもいいことに、どれくらい気がついて、目を向けれて、思考をめぐらせていますか?