元気のバロメータ

というか、精神的健全性のバロメータというところでしょうか。当然、肉体的疲労が長引けば精神的にも悪くなりますから、肉体的疲労も大いに絡んでくるお話ではありますけどね〜。そ・ゆ・意味で、元気のバロメータなわけです。
 どんなところでわかるかというと、例えば

  1. お仕事帰りにふらっと寄り道していく気になる
  2. 音楽を聴いて感動できる
  3. 小説や長編漫画を楽しめる
  4. ゆっくりとした思考が出来る

といったところですね。今回主に話題にしたかったのは、1. なわけですが、そのほかも、精神的ゆとりがないと自作の曲ですら感動しなくなり、どうでもよく聞こえてくるお話は昔書いたと思います。これは、聴いてても何も感じないという点もさることながら、本来なら聞き込んでしまい集中するところが、ふと、他の考え事をしたり何かを見ていたりして気が曲からすっかり逸れてしまい、本来感動がピークに達するサビの部分なんかをすっかり過ぎているのに気がついたりする、そんな感じとしてあらわれたりもします。
 残りの物も、精神的余裕がないと、時間がもったいない気がしたり、罪悪感を感じたり、そもそも読もうと思わなくなってしまったりするわけです。これらが起った結果、私生活が 「会社に行って、家では寝るだけ」 という、人生の本来目的を失った惨めな生活をする事になったりするわけです。
 で、本題の、1. ですが、これは最近気がついた行動パターンです。ありがちなパターンでは、帰りに買って帰らないといけない物があっても面倒に感じたり、別の機会にしようと思ってしまったりする感覚です。特に大幅な時間のロスではなくても、面倒に感じます。ひどい時になると、通り道から一本裏通りに入るだけのお店に寄るとか、通り道のコンビニに寄るのすらも面倒に感じます。
 それらの場合には結構重症な物ですが、軽症の場合、特に私が注目したいのは 「ふらっと」 の部分です。つまり 「あ、なんか寄っていこう」 くらいの感覚で寄り道が出来るかどうかです。特に、途中下車が加わるとなおさら。特に、〜しなきゃいけない、という用事があるわけでもないのにこれが出来ていれば、なかなか健全です。そうありたい物です。
 しかし、実際にはその時間を無駄だと感じてしまったり、面倒だと感じてしまいそういう気が起らなかったりするものです。今回の話で何度か出てくる、この「その気にすらならない」 という表現、つまり、そういう行動をとる事すら思い浮かばない、というのが、そもそも頭の中がそれだけ疲弊しているという事で、私的には、大幅に感性が低下している状態、と思っています。「寄り道? なんで?何のために?」 なんて思ってしまうようでは、それなりに疲弊しているといえます(性格にもよる所はあると思いますが)。
 帰り道に、ふらっと 「あ〜、hogehoge のクリームまんが食べてみたいなぁ」 と、途中下車して買って帰るくらいの余裕がほしい物ですし、そうあるべきだと思います。