定型句

 ニュースで、どこかの駅で無差別殺傷事件が起ったようですが、その時の分析の中で、犯人が事前に他の傷害事件を起こした時に計画していた事があったという話がちらほら出てたりしました。最初に妹の殺害を企てて、その後小学校へ無差別殺人をしに行ったものの行事中で断念し、最期に一人でいたお年寄りを殺害して逃走、という流れだったようです。
 その報道の中で、しょっちゅう出てくる言葉があり、気になりました。「犯人は、自分より弱いお年寄りや子供を狙った弱い人間であり、卑劣な犯行」 といった内容です。これ、この事件に限らず複数の殺人を行った事件でよく聞く定型句だと思います。印象が強く、ひどい犯罪が起きたのね、という感じがする便利な感じです。
 人間の頭の怖い所が、こういう定型句を言葉の印象だけで一度受けてしまうと、その後は全部、その言葉を聞くと無条件で、それが正しいというレッテルを貼ってしまう所です。典型的な例が "ことわざ" で、ことわざとそれの意味する所を知っている人同士が、会話の中で 「〜っていうでしょ」 なんて使われると、それがまるで 「刑法第何条に規定されているとおり」 と法律を引用されたかのように、その話が正しいと成立してしまう場面がよくあります。
 この 「弱い人を狙った…」 もその通りで、まるでこの犯人が、数ある殺人事件の中でも特に卑劣で残忍な犯行を行った、という印象を与えます。単に人を傷つけた、というだけじゃなくて 「なんて卑怯なんだ」 と、より感情的に扇動される可能性が高いわけです。定型句効果ですね。
 でも…よく考えてみると、おかしな話しです。いえ、よく考えてみると「当たり前」の話しです。無差別殺人と言っても、本当に無差別なのは意外と珍しい物です。無差別と言われてるのは、基本的には本当に無差別ではなくて 「犯人とは何のつながりもない面識のない相手」 という意味が強いです。
 この犯人の場合、駅での事件は確かに本当に「無差別」ですが、最初の事件の場合、普通に選別されています。そして、その選別をする時に、襲う相手を 「自分より弱い相手」 を狙うのは、ごくごく当たり前の事だと思います。適当に人を襲う時に、わざわざ反撃にあって逆にやられたり負傷する可能性が高い「自分より強い相手」を選んで襲いかかる犯人がどこにいるでしょう? どこの世界に、奪える金額が同じなのに、警備の手薄な銀行ではなく、警備が厳重と有名な銀行を狙う強盗がいるでしょう?もしそういう事をする場合には、無差別ではなく怨恨や喧嘩、克服的挑戦など何らかの理由があるものです。
 駅での事件は、闇雲に暴れて人を刺しているので、この 「強弱選別」 の時間があまりないため、無差別に近い状態になっているだけの話しであり、たいていの場合、無差別と言いつつ、自分より弱いと思われる相手を無意識のうちに選別して攻撃するのは普通です。「老人や子供など弱い相手を狙った卑劣な」 と言いますが、人に襲いかかる時点でそれは当たり前の事であって、取り立てて書く事でもありません。
 まぁ、さすがに小学校に行く、もしくは病院や老人ホームなど抵抗が出来ない相手を念入りに選んで攻撃する場面については、そう言われるのもわからなくもありません。今回の事件も、卒業式でなければ小学校が襲われていたわけです。けど、考えてみればわかりそうな事ですが、小学校と、すでに大人の体格に近い人く反撃されて取り押さえられる可能性が高い高校と、どちらを襲撃するかと言ったら前者であるのは普通ではないでしょうか。高校を襲撃する場合は、必ずと言っていいほど、例えば、母校や先生に強い恨みや嫌な思い出があり、その学校である必要がある場合に限られます。
 何にしても、定型句効果で 「自分よりも弱い人間を狙った卑劣な犯行」 と扇動されていますが、ごくごく当たり前の事。こういうのを見ると、定型句を使った意識誘導って、怖いな〜、と思うのでした。