今日のぐるぐる

 私も何度過去の日記でも書いてるけど、逆に世の中を見回してみても全く見られない意見なので、珍しくて紹介。そもそも等価交換。昔は物々交換だった物を単に貨幣という仮想価値に置き換えただけ。愛想を良くして自分の所で買ってもらおうと振る舞うけど、それは決してお客さん側に結う意見を持たせるものではない事に気をつけないと。というより、演技に乗せられて本気になってる恥ずかしい人である事に気がつかないと。

 はい、やっぱり "東側の国" 中国です。いい人も一杯いますが、こういう国です。そういう国で教育を受けると、やっぱり色々あるでしょうね…。で、中国人が「他国の国旗」を燃やした場合は特に何の問題もないんでしょうか? こういう国と本気でビジネスをやろうとしてる大手企業の気が知れません。まぁ、テロリストだろうがなんだろうが違法で捕まらない限り取引相手にするのが「ビジネス」なんでしょうけど。

 そもそも、今の 「ブログ」 と昔からの日記の違いは、どうやら見ていると、ブログがおおむね、不特定多数に向けてというか、不特定多数の知らない人だけのために発信される傾向が強いという感じです。対して、日記は、確かに不特定多数が読めるし、読んでくれればそれはそれでいいけど、積極的に読んで欲しいと思ってるわけじゃないし、むしろ友達とか会社や大学の知人、趣味の同じサークルの人たちに読んで欲しい、みたいな感じが強いと思います。
 私の周りでも、ブログではなく「日記者」はいっぱいいます。共通点は、社会人になって散り散りになり、リアルタイム会話をする事が難しくなった人たちが、日々の日常をアップデートするのに(自然と)使われてる感じがあります。メールでもいいのですが、メールはメッセージ生が強いので 「もう少しで座れそうだったのにオバさんにとられてがっかりした」 とか 「会社のエアコンが効きすぎていて少しおなかが痛くなった」 なんていうことは、メールでみんなと会話するにはちょっと個人的に過ぎるというか 「だからどうしたのよ」 と思われるんじゃないか、なんて不安を覚えたりして、書きにくい物です。
 それを、ウェブに日記ページとして掲載する事で、メールのように「送りつける」ものから 「見に来てもらう」 者へと一歩足を引くわけです。そうする事で、半ば、好きで見に来てるんだから、何が書いてあってもいいでしょ、私の家(ページ)よ、的な感覚が無意識に生まれるのかも知れません。そんな距離感が、ウェブ日記の気がします。
 これにより、お互い離れて何週間も会ってないのに、場合によっては何ヶ月もあって無いのに、まるで毎日お喋りしてるような生活の情報共有が出来ます。また、あえる頻度にばらつきが出ても、忙しくて会う事がなかなかできない人が、いつも会ってる人たちの輪に加わった時に、感覚の際が出にくい、というメリットもあります。これって結構重要で、いわゆる仲良しグループを維持するのには大きな要因だと私は思っています。私みたいな恥ずかしがり屋さんだと、いくら仲良かったグループでも、話しについて行けなかったり、彼女らだけで共通の盛り上がりがあり、私はいつも知らない、という阻害的環境には耐えられません。
 その結果、発生するのが、内容的には、例えば新聞記事のような 「特筆すべき事で、みんなが関心を持つような事」 と比較すると 「どこにでもある、ありきたりでどうでもいいこと」 であり 「みんなが関心を持つどころか、一部の人にしかわからない内輪のネタ」 だったりします。なので、その人を全く知らないし、共通する部分がないような場合、そこの読者になる事はかなり希でしょう。たまに、共感を得て日記から友達になる人もいます。
 システムとしては、トラックバックみたいなものですが、トラックバックではなく「リンクを張り合う」のが典型的な方法です。といっても、リンクページや、ブログのサイドバーにある「リンク」のコーナーではなく、本文中に 「この方の言われてるのとおなじで」 みたいに、リンクを張るわけですね。また 「確かに、それは同感!」 みたいに書いて、その 「それは」 の部分に、相手の日記の発言にリンクが張ってあったりするわけです。そうする事で、時間差をもって、日記状で擬似的なやりとりをするわけですね。
 リンクもそうですが、このやりとりが、ブログのコメント欄と同じ働きをします。ここからもわかるとおり、ブログの場合、通りすがりの知らない人が気軽にコメントを残していけるのに対して、日記の場合は、知ってる人が知ってるの人の日記に突っ込む形で、自分の日記にの発言の中でリンクを張る、という違いがあります。つまり、片方は見知らぬ誰か向け、片方は、あくまで内輪で友達同士という要素が強いのです。
 ブログだと 「炎上」 なんて言われる、コメントの嵐みたいな事がありますが、当然日記でも、私みたいに、自分の考え、特に批判的な内容やネガティブな発言を含む事まで書いちゃう人の場合、読んで反感を持つ人は、日記でも、居るわけです。当時はコメントというシステムがなかったので、メールで罵詈雑言を送ってくる人がたまにいたりしたわけですが、その中でも 「日記の批判は日記の中でしてください」 的な感覚がありました。つまり、反論や批判があるなら、自分の日記の中で、先述のリンク的なやりかたでのべよ、という感じです。
 トラックバックもありませんから、リンクされた事はアクセス履歴から辿る形になります。まぁ、ひどいのになると双方の日記で言い合いになって見てる他の人がガッカリする事になる場合もありますが、少なくと炎上する事はそうそうありません。知人同士でそうなる事は希なので、大抵は、全然知らない、他の日記者が偶然やってきて見つけた記事に反応したのが原因ですけどね。
 一方、ブログは、先述の通り 「知らない誰かに見てもらう物」 という感じがします。そのため、どこにでもあるような、ありきたりでどうでもいい事は書かないのが基本です。例外は、私生活を知りたがる人が多いアイドルなんかのブログでしょうが、普通の人は、ありきたりの事を書いても、その人を知らない人は面白いとも何とも思わないので、見に来てくれなくなり、結果的に廃れます。
 ブログの基本は 「アクセス数」 です。見ず知らずの人が、どれくらい来てくれるか、人気があるか、という事ですね。そして、どれくらいが読者として定着し、毎日のカウンターを回してくれるか、という事です。これは、アクセスカウンターという目に見える実質的な数値である場合もあれば、ついたコメントやトラックバックの数という、もう少しレイヤが上の基準で判断する人もいます。いずれにしても、いかにたくさんの人が自分のブログを見に来てくれるかという、人気こそが命。
 先述の、ありきたりの日常を書いてるだけではカウンタもコメントもトラックバックもふるいませんから、モチベーションポイントである人気度が上がらない事で、そのうち熱が冷めてしまい、放置されるのがオチです。知人や友人が見てる事が基本になってる日記と違い、アクセス数が伸びない事は「誰も見に来てくれないじゃん」という寂しさを味わう事になり、それはつまり「存在しても意味がないじゃん」 という感覚に陥るわけです。一方、ウェブ日記では、何人見に来ようと関係ありません。身内やある程度の範囲の人とコミュニケーションを取り合う事が目的なので、人気がある/無い、という感覚すら、もはや存在しません。
 もちろん、日記の場合も知らない人でも見に来てくれて、常連読者になってくれればそれはそれで嬉しいので、アクセス数が上がるに超した事はありません。しかし、だからといって (見ず知らずの) みんなが見に来たがるような内容を考えて日記を書くようになったり、リアルで知らない人が読んでもつまらないようなありきたりの事を書かなくなったり、一般受けするような意見を書いたりするような事はしないのが基本です。なぜなら、そんな事をすれば、本来の「お客」である友達や知人が見ても 「彼女は毎日/最近何をやってるのか」 が全く見えなくなっちゃって、本来の目的を失ってしまうからです。
 ここで 「続くかどうか」 の要因も見えてきます。ブログの場合は、文字通り 「どれくらいの人気があるか」 ですね。アクセス数がどれくらいあるか、トラックバックやコメントがどれくらいつくか、それが重要です。いくら人気でも飽きる人は飽きちゃうでしょうが、そういう場合を除いて、基本的に人気があるうちは続きます。もっとも、多くの場合、ネタが尽きたり、読んでる方に飽きられたりしてアクセス数が減少したりしてやめてしまう波が来る物です。
 一方ウェブ日記は、あくまで友達関係優先です。ここでいう友達関係とは、先述の通り、学生時代からのリアフレや、パソ通やネットで知り合った友達、趣味の関係で知り合った仲間などいろいろです。その人達が、どれくらい読んでくれてるかが重要です。例えば、オフで会った時に、日記を読んでいてくれて 「そういえば一昨日雨漏りしたんだって?」 なんて話題を振ってくれれば、日記を書いてる意味があったという物です。知らない人から 「いつも読んでます。楽しいです」 なんていうメールが何通来ようと、友人知人が読まなくなったら、更新されなくなるのが定番で、場合によっては「ブログ」に変身するかも知れません。
 またもう一つ重要な要素は 「友人知人も日記を続けて更新してるか」 という事です。先述の通り、ウェブ日記の目的は友人知人とのコミュニケーション。そのコミュニケーションは、自分の日記で反応する事により行なわれます。または、メールの方がいい場合やチャットの方がいい場合は、そちらで行なわれます。どちらにしても、友人知人に読まれている事が重要です。
 その中で、反応する事も勿論大切ですが、もっと重要なのが、その友人も日記を続けている、という事です。お互いに、日々の日常を公開する事で、一緒にいるような擬似的な感覚を味わう世界です。それはお互いに形成する物なので、日記が更新されなくなると、闇に潜った状態になってしまい、状況によっては、仲間内から離脱したような悲しい感じが生まれます。
 そうなると、自分も日記を書いていても、それを読みたがる友人知人が減ったのかな?なんていう感覚が生まれ、ネガティブ思考だと、そのまま更新頻度が落ちたり、内容がごっそり減ったりします。そういうコミュニティは、残念な事に私も何度か見てきています。
 内容的な差異をもう少し上げておくとすると、それは、プライベートや日常にどこまで踏み込んで書くか、という事でもあります。例えば、先述の 「日常生活のどうでもいい事」 はともすれば、プライベートな事、と捉える事も出来ます。例えば 「トイレットペーパーが切れたので新しいのを買った」 なんていうのは、他人からすればどうでもいい事であると同時に、普通は積極的に公開しない、プライベートな内容でもあったりします。
 これが 「かわいいクマちゃんのぬいぐるみを見つけて買ったよ!」 という内容であれば、積極的に人にアピールしたい感じがしますし、どんなクマなのか、SS をみたいと思ったり、かわいい〜、とか、どこで買ったの?!なんていう、いかにも読んでる側も飛びつきそうな内容であり、プライベートでも日常のどうでもいい事でもありません。しかし、トイペの話題を書くのも、日記だったりするのです。
 他にも、プライベートな事というと、結婚したり出産したりする話題もあったりします。これは、ブログでもクマの話題と同様に積極的に書かれる事がありますが、ブログの場合公開する義務感というか、友達に伝えないと、という感覚がないので、忙しさにかまけて更新されていなかったりするのが多い気がします。一方、ブログの場合は 「明日結婚式だ…クタクタで死にそう」 なんていう1行だけの更新があったりして、リアルタイムな感覚が伝わるのと同時に、友達一同で祝福を一言書き込む臨時掲示板を立てたりして盛り上がったりする物です。
 また、ブログで書かれない事が多い物が、個人を特定できそうな内容、生活の周囲の内容です。例えば、お買い物をしたとしても、誰でも行ける御殿場のアウトレットモールなら、それを書きますが、近所のヨーカドーなど地元の人が利用する場所ではそれを書かず 「近所のデパートで」 的な書き方でぼやかしたりしがちです。駅名も、最寄り駅がどこかは、人口密集の下北沢や吉祥寺なんかの場合は書いても、上石神井とか、飛田給、なんていう場合は書かず、ぼやかす傾向が見えます。
 日記の場合でもそういう事はありますが、比較的無意識にありのままを書く事が多いです。もっとも、昨今は個人情報意識が過剰反応してる影響で、ウェブ日記でも、個人を特定できそうな内容や勤め先がわかるものは(何も悪い事してないのに)削除する傾向があったりします。昔は、勤め先なんてメーリングリストなんかでも 「こんばんは、ユイ@ほんにゃら産業です」 なんて書いたものですけどね。書いてはいけない義務もルールもないのに、いつの間にか、書くと悪いかのような変な空気が蔓延していて、気持ち悪いネット社会になった気がします。
 まぁ、この辺は、個人を特定とか、プライバシー的な杞憂もさることながら、読んでいる「不特定多数」 の人間には、そもそも内輪ネタであって、通用しない(通りすがりが読んでもわからないので、読者数向上につながらない) というのがあり、避けたがる内容でもあるわけですが。
 そんなわけで、いろいろ書きましたが飽きたのでこの辺でw いずれにしても、ここはブログシステムを使っていますが、日記なので、読者の方の読みたい事を書くコラムでもないし淡々と日常を書くだけです。ブログ慣れしてて「楽しませてもらう」事になれてる人から見たら「何コレw」かもしれませんが。
 余談ですが、最近は、ウェブ上のページで、ある文化がすっかり見られなくなりました。文体というか、書き方というか、話し方というか、独り言口調というか。とりあえずその件はまた別の機会に。