大人の視点と子供の視点

 日記にコメントしていてふと思ったのは、大人の視点と子供の視点。携帯ゲーム機の話だけど、根拠は全くないけど子供はやっぱり、まず 「xxxがやりたいから」 というのがある気がする。友達が持ってるとか、自慢できるという子供ならでわの要素もあるけど、ほしいと思うのは、その友達が持ってるゲームを見て 「これがやりたい!」 っていうのがあるんじゃないかしら。
 一方で、大人の視点だと、基本は 「すごいかどうか」 みたいなのが多い気がする。本体を買うときには、今現時点で欲しいゲームソフトを見つけたからじゃなくて 「これだけすごい機種なんだから、きっと素敵なソフトが出るに違いない」 という感じ。先物買いというか、目先ではなくて長期(将来性)を見るのが大人ならでわ。
 周りで話を聞いてると、やっぱり話題に出るのは、子供は 「xxxって面白そうだな。僕も買いたいな」 みたいな会話なのに対して、大人は 「無線LANついててGPUにはGeForce系らしいし…」と本体そのものの性能についての話題が多い…というか大人の会話ではそれ以外に聞いたことがない。
 この辺は、大人ならでわの 「長期的視点での発想ができる」 という面以外にも、自分のお金で買うか、親に買って貰う違いがあるのかな。やっぱり自分でお金を出して買う場合は、無駄にしたくない、長く活用したい、という点で気にするのはあるのかも。
 「xxxがやりたい」 という、目先の要求だけだと、そのソフトにあきて、その後ほしい物がなかったら本体ごとゴミになっちゃう。ゲームウォッチみたいに一つのゲームしかできないのならそれでいいけど、交換できる今のゲーム機の場合、将来的にどれくらい活用できるかが重要。子供はそのことに気がつけないけど、大人なら、それくらいは考える。
 それに加えて、無駄遣いに対する自制心みたいなのが強い。例えば、FF XI が PS2 でしか出ていなかったとして、私が FF XI をいくらやりたくても、そのために PS2 を買ったりはしない。やっぱり頭のなかで 「FF XI のためだけにわざわざ PS2 本体を買うのは、さすがにね〜」 というのがあって、まず無理。会話でも 「そのためだけにわざわざ PS 買ったの?w」 と突っ込まれることは想像に難くない。
 あと、たまたま 「やりたい」 なゲームがハイエンドな内容ならいいけど、現行機種でも充分作れるようなゲームだった場合、もしかしたらその機種はそれ以上の性能がなくて、それ以上のゲームは出ないかもしれない。例えば、3D 多用したようなゲームとは無縁になってしまう可能性も。
 例えば、その 「やりたい」 がぷよぷよみたいなゲームだった場合、その機種で 3D の RPG やりたくても性能的に無理かもしれない。大人だと、やっぱり 「このゲームは面白そうだけど、これが限界だとしたら、後々他のやりたくでも困る性能かもしれないね…」 と心配してしまい、やっぱり本体の性能に判断基準の思考が戻る感じ。
 友達とソフト交換したり自慢したりしない社会人の場合、友達への普及率はあまり関係ないし。あと、ゲーム機が出立ての頃は、ノウハウも最適化も進んでいないから、そのとき出たソフトのできて本体の出来を判断するのは誤解の元だと思う。
 とは言っても、私も、テトリスがやりたいだけでゲームボーイを買って、それ以外に興味がなかったのでテトリス専用機として飽きてしまったあとは、さようならにしてしまった経験はありますけどw
 もっともこれは、私の周りの話だから、文系の人だったり、男子集団だったり、関西の人だったり、さらに歳が上だったりするとまた違うのかもしれないけど。