オーディオ近傍の耳学問

 昨日書いたオーディオの話の関連です。メールでいくつか反応があったので補完してみます。まぁ、趣味なんだから本人が満足して納得するんならいいじゃない、という基本前提は改めて語る必要はないわけで置いておくとして。オーディオに限らず、みのもんたの番組なんかでもある 「xxxにいい!」「xxxxに効果がある」 というのは、0.000001% でも影響してる事自体はウソじゃありませんし、たとえ、他に簡単に 10% 上下する要因が日常生活に蔓延していても「効果は効果」 ですからね。
 しかも、昨日書いたとおり、オーディオなんかの「趣味」の場合、通を気取りたい人が多い世界だから 「たった 1 度の熱損失でも僕の耳にはわかるんだい!」 という立場を取りたがるので厄介です。もちろん、スペアナ的分解能を持つ人が数百万人に一人くらいいて、本当にわかる可能性がある事は否定しませんが…。特に日本人は「人間万歳主義」 の人が多いので 「スペアナなんかの数値では測れないものが人間にはわかるんだ。人間は機械よりもすごいんだ!」 みたいな思想に陥りやすいですから…。
 じゃ、私はどうなの? という話になると…これがまた、こういうことについても結構神経質ですw といっても、高級なケーブルを使うとか、音の違いがわかるとか言い出すわけじゃありません。はっきりいって、わかりません。まぁ、身体測定上の可聴領域は、標準より特に低周波寄りに多少広めですが、実感としてはわかりません。むしろ 「わからないからこそ気にする」 という感じでしょうか。
 いいケーブルを使うとかじゃないと、何を気にするかというと 「折り曲げ損失」 や 「接点抵抗」 です。例えば、配線をしてるとき、少しでも力が加わると 「あ、今ので少し断線して音が劣化したかもしれない…」 とか、折り曲げがきつくなっちゃって 「あ、今ので…」 と、結構神経すり減らします。プラグの部分も、指で触っちゃって 「あ、今ので…」 となります。
 特に、光ケーブルなんかだと、この手の折り曲げや接触をすごく気にしちゃってこまりものです。かといって、損失が出たことが誰の目にも明らかな故障状態にでもならない限り、よほどの場合を除いて買い換えたりする事はないので 「損失だしちゃったんじゃないかなぁ」 と悶々とする事になります。この、悶々がかなり落ち込むので、外から見た人は 「何で突然しょんぼりしてるのかな?」 と不審に思うこと請け合いです。
 実際聴いてもわからないというか、けど 「もしかしたらコレ、さっきので劣化して、変な音になってるかもしれない」「折角いい音で聴けるはずだったのに、劣化してる可能性があるのよね…」 と思うと、満足に楽しめません。なんかこう、賞味期限の切れたものを、ドキドキしながら食べてるような、味わいきれない、そんな感じに近いです。
 これらは、むしろ 「わからないからこそ気になる」 わけです。スペアナ能力を持っていれば、聴いて問題があるかないか言い切れますので、どんなに強く引っ張っても折り曲げても、聴いてみたら 「問題ない」 と言い切れ、楽しむことができますから。それができないので 「もしかしたら」 と思うわけです。だから、その逆で 「いいケーブルを使ってれば、きっと、自分はいい音を聴いてるに違いない」 という気分に浸れるんじゃないでしょうか。
 「わからないんならいいんじゃない?」 と思うかもしれませんが、人間の耳はむしろ 「よく使う音に最適化する回路」 があるので、意外と耳がイコライズしちゃってわからなくなるものだったりします。つまり、耳と体はわかってるんだけど、頭がわかってないということですね。だから、たぶん問題ないんじゃない?とわからなくても、実は、例えば音楽のサビ(?)の部分でイマイチ気分が盛り上がらなかった時、それが自分の体調の問題や気分の問題なのか、それとも、やっぱりケーブルが劣化してきちんと満足な音が出ていないので盛り上がらなかったのか、どちらかしら、という事になるわけです。
 つまり、導入時に不安点を作るという事はそれだけ、実運用時にもずっと尾を引くことになるわけです。もし、ケーブルを引っ掛けたり曲げちゃったりして心当たりがなければ 「たぶん今日は気が乗らないんでしょう」 程度で諦められますが、心当たりがあると 「やっぱりケーブルがあれなのかなぁ…」 と悶々とすることになるわけです。こうなると、うっかりケーブルを引っ掛けちゃったり、曲げちゃった自分がすごくいやになります。こういうときは、気分最悪モードに突入して、周囲の人が困ります(^^;
 もし、趣味というものの最終目的が、アルファ波の放出にあるなら、いいケーブルを使うことによって思い込みでも満足してアルファ波が沢山放出されるわけですから、目的は達成してるということになるのかもしれません。
 私は空想癖はあっても、思い込みができない人です。例えば、あこがれているアイドルがいたとして、そのアイドルのサインをどこかで誰かが貰ってきたとします。目の前でその友達がサインを見届けていればいいのですが、そうでない場合は、もしかしたら、アシスタントか誰かが適当に書いてるだけかもしれない、と思うと、心から喜ぶ事もできないし、壁に飾る気も起きません。もしかしたら、と思うのがダメなんですね。
 この手のファンの人からは 「実際それはわからないけど、アイドル本人が心をこめて書いてくれたと思えばいいじゃん」 みたいな事を言われたりするわけですが、私には無理なわけです。自分がしっかりと心から信じるものには裏づけが必要なわけです。もしわたしが男子で、女子からバレンタインチョコを貰ったとしても、それが本命なのか義理なのかはすごく気にする事でしょう。
 余談ですが、ここで 「じゃ、スーパーで売ってる「牛肉」 もスーパーが騙してウソかもしれないし、PC だって新品と書いてあっても実は中古かもしれないから、作ってるのを目の前で見ないと買い物できないよね」 とか考えるタイプのあなたは意地悪さんです。あんまりそういう 「まず、わざと何か相手が困りそうな意地悪を言おうとする」 方向へ思考が行きがちな考え方してると嫌われますよ…。そういう話し方は、"喧嘩" をしてるだけで "議論や話し合い" ができないタイプの人ですね…。
 なんにしても、それじゃ、わたしの場合、そういうケーブルの場合どうするか? という話になるわけですが、単純な話で、人間の 「確かな」 可聴領域と、スペアナなんかの機材で見た信号劣化特性や変化、人間の「確かな」耳の分解能を普通に比較して、その影響範囲から外れるところはまったく気にしません。
 つまり、二つのケーブルを並べられて、同じレンジでのスペアナ画像を見せられて 「こっちの太い方がこれだけ優れてます」といわれてもダメです。そこに、人間の耳の聞こえる範囲と分解できる精度の「目盛り」を書き込んで初めてデータとして意味があるわけです。その特性の範囲内で「差」があれば、喜んでいいほうのケーブルを買う、というわけです。
 やっと本題に戻るわけですが、この前書いたケーブルの話、元々は、コメントにもついたとおり 「一定以上の太さのケーブルを使っても意味はない」 という話だったりするわけです。その上で 「僕はわかるんだ」 的な裸の王様効果がメインを占めてるんですよ、というお話でした。
 確かに、科学測定が絶対で間違いがないというわけではなく、実際に、時代が進むと、計測の間違いや理論の間違いも発生する事例もあるわけです。でも、そういうものがあるからといって、そこに漬け込んで 「科学は絶対じゃない」 病が発生するのは考え物なわけです。それって、めったにない銀行システムのトラブルを取り上げて 「わたしが送った1000万円が行方不明になることが絶対にないわけじゃない」「うちの ADSL がつながらないのはソッチの設定ミスだ」 と騒ぐのに近いものがあると思います。
 また、科学で解明・説明できないけど再現性が確かなものもあるのは確かですが、それに漬け込んで 「コレもそうに決まってる。ボクにはわかるんだ」 的立場を取るのは 「大金持ちの子供と取り違えられて、実はお嬢様だったということがあるわけで、私もそうに決まってる」 と本気でいってるのに近いものがあります。
 まぁ、だからこそ 「いいんじゃない? 本人が満足してるんだからw」 ということになるんでしょうね。こんな話は、CD 登場時に 「CD は音が悪くて使えない。アナログレコードこそ最高な音が出る」 といって譲らない人がいたりして、いつになってもいるものですね。感覚という「言い訳の逃げ道」があるので、いくらでも裸の王様は気取れるわけですから。