片手の人たち

 ちょっとばかり興味深かったのは、W-ZERO3 に興味を持たなかった人というのは、W-ZERO3 を 「片手で入力する事ができない上に、他の機種よりも大きくて重く、しかも価格が高い」 という視点を持っていることです。他の点は、利便性との相殺で仕方ないと思える部分なので、利便性をどこまで優先するかとの天秤になるわけですが、その利便性の部分すら 「片手で入力できない」 ことを 「デメリット」 と捕らえてることが、カルチャーショックなわけです。
 私というか、多くの古参デジタルデバイスユーザからすると、片手文字入力は 「小ささ優先でボタンの実装が限られる携帯電話という機械の性質と制限から仕様上仕方なく存在する妥協の産物」 でしかなく、決して望まれて生まれたインタフェイスではないわけです。それを、スライドさせることでフルキーボードを実装し、入力の便利さを一気に拡張したところに (データ通信完全定額制というバックグラウンドとあわせて) W-ZERO3 のすごさというか、実用性を一気に高めた意味があるわけで、この時点で、あえてテンキーのほうがいいという人がいることは完全に想定外です。
 なんというか、Windows XP はカラー表示だから使いにくい、モノクロか、多くても 8 色表示にしてほしいと言い出す人を見たのと同じ感じなわけです。だから 「片手入力もできないし」 っていうのは、最初は、何らかの買わなくていい理由を探してる人が無理につけた "ケチ" でしかないと思ったのですが、それが本気で語られている文化が存在することは、ホント、カルチャーショック以外の何者でもありません。
 片手入力のメリットは、片手で打てること、つまり、もう片方の手を何か別の事に使えることなわけですが、思いつくとしたら、もう電車のつり革か、傘を持つことくらいがせいぜいです。けど、たいていの人は、片手を余らせて入力していますよね。謎です。私はたとえ片手をつり革で使用していても、片手だけでメールを入力する携帯スタイルでは、すごく短い文章しか打つ気になれません。
 まぁ、つり革を保持しないといけない時点で確かに W-ZERO3 では入力するすべがなくなっちゃってますから、メリットといえばメリットでしょうが、それを 「片手で不自由でもいいから入力をしたい、しないといけない」 という気分にはなかなかなりません。ところが、世の中には 「両手が使える状態でも片手入力がいい」 という人が存在したわけで、いやはや。
 この辺は 「両手で入力する速度」 という需要を実感したことがないからかなぁ、とも思います。どうしても、うちらは両手で入力することと比較し、それから遠く及ばない状態になるとストレスとして捕らえます。ましてや、一文字入力するのに何度も同じボタンを押して決めるという、まったく入力方法が違う片手入力は、非常にまどろっこしく思えるわけです。W-ZERO3 ですら、フルキーボードに比べたら討ちにくいことは確かなので、それですら多少ストレスなので、携帯入力はまさに問題外です。
 でも、これでしか入力していない人は 「こういうものだ」 として育つわけです。両手入力と比較しようもなく、メールを打つというのは、こうして、片手でぽちぽちと時間をかけてゆっくりのんびり入力していくものだ、という感覚で育てば、それが世界のすべてなわけです。そうして、携帯方式の文字入力で育つと、むしろ両手を使わないと文字が入力されないなんていうのは、なんて不便なのかしら!なんて思うわけですね。
 たぶん、現実にはマウスは片手で使えて普通なのですが、それがもし、両手じゃないと使えないマウスがあったとしたら、先に私はまず、そう思うことでしょう。マウスでウェブサーフィンしながら coffee を飲めないじゃない! とか。たぶんそれに近い感覚でしょう。両手マウスは多機能で便利だったとしても、操作方法が従来とまったく違えば、たぶん当分手を出さないし、私の目にはそれは不便に映ることだと思います。
 で、話を戻して、片手入力なわけですが、W-ZERO3 をみて、冒頭で書いたような不満を述べる人たちを対象に [es] が生まれたのかもしれませんし、そういう人たちにそれなりに売れたような気がします。例によって、発表直後、私はテンキーをつけるなんてなんて意味不明なのかと思ったのですが、頭の古い人は、物理的なボタンがないとダイヤルするのが怖いのかなぁ、なんて思いつつ、まさかそれをダイヤルではなく文字入力として欲する人がいるとも思わず、私の知らない「世界」は広いなぁ、と思った今日この頃でした。