2.0?

 前にも書きましたが、Web2.0 とか変な事を書いているところが多いのはみていてとてもイタいので何とかしてほしいわけですが、最近 DoCoMo まで 2.0 言い出してとても痛いわけで。そもそも、Web2.0 って中身も実態も何もなく、鹿もどっかの誰かがボソッと言い出したようなことを持ち上げてちやほや取り上げてるだけでまったく無意味なわけです。Web2.0 とか言い出して動いてる人たちは、少なくともマーケティングであり、本気で技術に携わってる人間で相手にしている人はいません。
 まぁ、裏を返さずとも相手にしているのがズブの素人さんであり、そういう意味では 「最近話題の Web2.0 みたいでカッコイイ」 みたいな根拠ゼロのイメージを与えるという目的において意味があるのかもしれませんがががが。正直今頃 2.0 ですか、という感じがぬぐえません。…ってまぁ、まじめに捉えてしまっていますが、これってもしかして、いわゆる 「ダサかっこいい」 的なシュールな描写の一つなのでしょうか?
 余談ですが、私の感じる 「2.0」 時代というのは、もっと昔にあります。それは何か? というと、本名や顔写真を掲載しなくなった、あのあたりが 2.0 時代かな、と思うわけです。実際問題、Web2.0 にしろ本当の技術を語ってるわけではなく、単に利用形態が変わってきたよね、みたいな事を言ってるだけのお話なので、それを考えるのであれば、その昔が2.0ですし、なによりその昔の方が私は文化的に "変化" が大きかったと考えています。
 つまり、2.0 というメジャー番号がアップするような大変化は巷で言われている Web2.0 世界では起こっていないわけで、それこそ今言われてる Web2.0 なんて、Web2.51 くらいがせいぜいかとw
 で、私が大きく感じた Web 世界の変化というのは、その昔。当時は、インターネットのウェブサイトといえば、本名、顔写真掲載は当たり前、人によっては住所や電話番号掲載も当たり前でした。本名に至っては掲載は事実上の 「義務」 に近いものがあって、本名すら掲載しないような人間は、UG (アンダーグラウンド)の、いわゆる "アヤシイ" 形の人で、まじめに接するに値しないというのが共通認識でした。
 それと対比されていたのが、パソ通で、パソ通ではハンドルネームでの書き込みや登録が当然でした。BBS によっては本名の登録すら必要なく、完全匿名だったのが当時です。それとは違い、インターネット上のウェブサイトというのは、きちんと本名を書いて自分を公開するものだ、というのが共通認識。本名や所属(会社名や学校名)すら名乗らない人は、現実で本名を名乗らない人と同じくらい変な目で見られたものです。
 ところが、今となってはまったく違い、本名を名乗る人はめったにいません。せいぜい、苗字や名前の一部を書くくらいで、プロフィールページに本名をきちんと書く人は皆無に等しいくらいです。つまり、全員が文字通り、匿名*1。誰も本当の自分を表に出さず、一種の別世界・仮想人格的感覚で参加するようになった、この、本当の自分を表現する一手段として本名で参加していた現実社会の一部としての web から、匿名で仮想人格で参加するだけの、仮面の世界と変わってしまった、それが私の考える web2.0 という区切りです。文化そのものが大きく変わったのですから、コンテンツにコメントをつけるだの動的だの、読者参加型だの、そんなことはこれに比べたら微々たる変化に過ぎません。
 何度も書いている、例の個人情報意識過剰問題が大きく影響しているのは事実で、例えば、本名を全部書いたところで本人を特定できる人は、よほど珍しい苗字でもない限り普通はいません。それとも、そこから情報をたどられて本人を特定しようと努力を重ねるような苦労をかけるだけの価値がある人物なのでしょうか。つまり、例えば誹謗中傷のひどい日記を書いていて、読者から恨みを買って、暗殺されるような内容でも書かれているのでしょうか。そういうのであれば、昔から UG として web 世界には存在しましたから、別に今に始まったことではありません。ただし、それって、普通の人がすることじゃないですよね?
 また、もっとひどいというか、意味がないのが 「写真の遮蔽」 です。まぁ、かわいくない、顔に自信がないなどの理由がある人もいるでしょうが、大半は 「何かあったら困るから」 みたいな根拠不明の危機感です。何か、って、何でしょう。その写真を元に探し出されて暗殺される覚えでもあるのでしょうか。住所すら更改してないのであれば、日本全国広い中から写真を元にあなたを探し出して、暗殺をするような、そんな苦労と手間をかけるほど、ひどいことをあなたはしてるのでしょうか。
 このあたりの、わけのわからない "自粛" 的感覚と、総引きこもり的感覚 (普通に考えれば、名前も住所も顔写真も隠して存在だけするというのは、どう見ても引きこもり的陰湿さ以外の何者でもありません) はそれ以前には存在しないものであり、大きな web における変化だと思います。
 つまり、web1.x → web2.0 への変化は、それまでの明るく健全で、本名で挨拶をしていた社会から、引きこもり匿名でしか意見を語らない、実体がない黒くて陰湿な化かしあいの社会に変わったという点だと思うわけです。 考えてみてください。今、友達や近所、会社学校と、本名で語り合い、住所電話番号が知られていて当たり前の時代から、一転して、お隣さんや職場の同僚ですら、ハンドルネームしかしらず、どこに住んでいるか、電話番号も知らない社会に変わったとしたら、それって、人類においてメジャーバージョンを上げなければいけないような、社会的大変化だと思いませんか?
 例えば、今、レストランに行くと、必要もないのに 「鈴木」 とかネームプレートが本名です。サポセンにかけても 「はい、担当の鈴木です」 と本名です。これ、なんででしょ? 別にハンドルでも困りませんよね? でも、本名なんです。それが、普通の感覚です。よほどやましいことをしてない限り、健全な会社は本名でしょう。それを、ハンドルにしたり匿名にしたりしたら、怪しい会社、おかしい会社、信用できない会社というお話になるわけです。
 それと同じ事が、web の社会で起きていたわけです。これ、今巷で言われているweb2.0 なんて騒いでその気になっている人たちは知らないのでしょうか。私から見れば、web2.0 なんて 「何も変わっていません」。キーワードを作って商売にした人たちと、それに乗せられてる人たちのおめでたい集まり、ということでしょうw ドコモさんのイメージが 「頭悪そう…」 になってしまったのは、残念な限りです。

*1:正確にはハンドルネームでも使用していれば "匿名" とは言わないのですが、ここではあえて匿名と読んでみたり